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週刊代々木忠

生き残るためには、どうすればいいのか?

2009年03月06日(金)

 個人も、会社も、そして麻生総理も、みんな生き残りに必死な世の中である。いったいどうしたら生き残れるのだろう......ということを今回は考えてみた。


 僕がピンク映画で駆け出しの助監督をしていた頃の話だが、崖の上から女性が突き落とされるシーンの撮影があった。当時は今みたいなSFXもないし、本当の人間を突き落とすわけにもいかないので、海に落ちたのは人形である。もっとも、借り物だからそのまま捨てて帰るわけにもいかない。荒れ狂う海に人形を取りに行く......それが助監督である僕の役目だった。


 伊豆・城ヶ崎の冬の海に、僕は飛び込んだ。やっと人形をつかまえ、岸に折り返そうと体勢を変えたそのとき、体が一気に持ち上げられた。眼前の岩に叩きつけられると思った瞬間、今度は海中に引きずり込まれていた。岩場の波は不規則だ。二度三度と波は襲ってきた。崖の上で見ていた監督や他のスタッフたちは、もう助からないと思ったらしい。


 僕は波に呑まれるたびに、体の力を抜き、海面に浮くのを待っては泳ぎ、岩場から離れた。海面に浮くまでの感覚は、子どもの頃によく遊んだ、川に投げ込まれたときに浮上する、あの感覚と同じだった。子ども時代の体験を通して、体が覚えたコツ。無意識はちゃんとそれを覚えていた。


 多少泳げる人でも、海中でパニックになれば、あわて、もがき、水を飲む。水を飲めば、パニックは増幅し、さらにあわて、もがいて、溺れてしまう。僕が助かったのは、荒れ狂う波にあらがうのではなく、全身の力を抜いて、自分の体が浮くのを待てたことに尽きるだろう。


 話は前後するが、ピンク映画に入る前に不良をしていた頃、僕は命を捨てる覚悟を何度かした。小倉、別府、島根、豊橋、広島、函館と、思い起こしただけでも、これだけある。いずれも奇跡的な決着と和解が訪れた。


 不良をやめて10年ほど経ったある日、九州で対立していた組織の会長と偶然出会った。それをきっかけに、彼が上京したときには会って話をするようになった。対立時代のこともお互い懐かしい昔話として語り合う間柄になったある日、彼は僕にこう言った。「あんたんとこ、何人埋めたね?」


 僕は大笑いした。人を殺して埋めたことなど一度もない。だが、彼がそう思う理由はわかっていた。僕の所属していた組織が、それほど過激な不良集団だったからだ。そのなかでも、引くことを知らない僕が今こうして生きていること自体奇跡だと、昔の知り合いは言う。たしかにケンカのとき、助かろうと考えたことは一度もなかったように思う。


 このブログでも何度かふれた日活ポルノ裁判では、その裏側でいろいろなドラマが繰り広げられた。


 裁判にかけられた4作品のなかに、僕がプロデュースし、U氏が監督した作品があるのだが、監督であった彼は、摘発後の取り調べにおいて僕とはまったく逆の行動を取った。つまり、妻や娘たち家族のためにも、犯罪者のレッテルを貼られない道を選んだのだ。もちろん彼の気持ちは僕にも痛いほどわかる。


 彼の社会的な生き残り策は、功を奏したかに見えた。取り調べを受けた4人の監督のうち、彼だけは起訴されなかったのだから。


 ところが、摘発からおよそ2年後、皮肉なことに彼は"検察側の"証人として法廷に立つはめになってしまった。警察の取調室という密室でしゃべったことが、聴衆の面前で白日の下にさらされるという、彼にとっては人生最大の誤算と向き合うことになったのだ。


 才能に恵まれた監督の言葉とは思えない、自己否定にもつながる彼の法廷での証言は、9人の被告全員を一気に不利な立場へと追い込んだ。


 しかし同時に、裁判を傍聴した映画評論家たちが「キネマ旬報」などの雑誌で論評したことから、彼の一件は世間に知れ渡ることとなり、信念のない監督として、彼は映画業界から見放される結果を招いてしまった。結局のところ、彼は猥褻(わいせつ)事犯立件の道具として、検察側に都合よく利用されたばかりか、いちばん守りたかった家族さえも失ってしまったのだった。


 僕には、はなから守るべき社会的立場のようなものがないというのもあったが、それ以上に、売られたケンカは買うしかないと思っていた。たとえそれが国家権力を敵にまわしたケンカであったとしても。


 摘発から9年後、高裁の無罪判決に対して、検察側の上告断念で、このドラマは幕を閉じた。その後、U氏とも和解し、酒を酌み交わすことができたのが、せめてもの救いだった。


 裁判が終わってまもなく、僕は日活の下請けをやめた。裁判終結と同時に、日活には僕に対して果たさなければならない、ある義務があったのだが、その約束は無視された。当時、日活との縁を切るのは、自ら収入の道を断つことでもあったけれど、約束を簡単に反故(ほご)にしてしまうような会社とは、もう一緒に仕事をしたくなかった。


 アダルトビデオを撮るようになったきっかけは、「愛染で一本撮ってみたら?」という、長年コンビを組んできたカメラマンのそんな一言からだ。新たなステージというのは、こんな形でやってくるものなんだなぁと今さらながら思う。


 生き残るのが大変な世の中だからこそ、その対策をあれこれ考え悩むのは当然かもしれない。けれど、策士、策に溺れるというのもある。僕自身は生き残ろうとしなかったからこそ、生き残ってこられたという実感がある。問題の渦中から一度離れてみないと、自分の置かれている状況などわかるはずがない。そしていったん手を離さなければ、次なるものはつかめないのだ。


 しがみつくな。手を離せ。力を抜け。そして時と場の流れに乗れ。絶体絶命のピンチとは、自分を信じて自分を解放してやる絶好のチャンスでもある。


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