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アテナ映像

週刊代々木忠

27年目のスタートライン
 

AV監督を始めて27年になる。だれにも話してはいないが、実はこの2、3年、そろそろやめようかなと思っていた。その理由はこのブログでおいおい書いていこうと思うが、今年の夏あたりから、僕のまわりでいろいろな動きがあった。まるで止まっていた時間がゆっくり動き出すみたいに。

 だから、これからどんどん寒くなろうというこの時期に、僕は冬眠から覚めたクマみたいに起き上がり、いろんなことを始めたくなった。このブログもそのひとつ。AVの作り方は多少知っているつもりだけれど、ブログは中学生が初めてオナニーするみたいなものだから、どう書けばいいのか心もとない。そこで、読んでくださった方たちに「そうじゃないんだよ」と教えてもらえたら、すごくありがたい。

 今後このブログでは「女とは?」「男とは?」「愛とは?」「セックスとは?」といったテーマで、AV現場の裏話もまじえながら書いていけたらいいなと思う。ただし、きょうは第1回目だから、まずは自分について書いておきたい。人のことをとやかく言う前に、自分自身を語るのが筋だとも思うから。

 僕をひと言で表現するならば、社会性が欠落した人間である。「AV監督だからさもありなん」と思う人もいるだろうが、そうではない。AV監督でも社会性を持った人はいるし、僕の場合は仕事と関係なく、生い立ちからしてそういう人生を歩んできている。

 僕は3歳までは母に愛されて育った。むろん愛されているという意識もないまま、それを当然のこととして育てられていたようだ。ところが、3つになった年、母が盲腸の誤診によって一命を落とす。今ならそんなケースはほとんどないだろうが、むかし日本が戦争をしていた頃の話である。母の死と時期を同じくして、軍の技術者であった父も、仕事のために家を離れてしまう。

 その後の2年間、僕は親戚の家を転々とすることになる。親戚にあずけられていた頃の記憶がはっきりとあるわけではないものの、大人たちから見れば、僕は幼くして母を亡くし、父も家にいない不憫な子として扱われた。それを子ども心にも感じ取っていたのではないかと思う。

 終戦と同時に、やっと父が帰ってくる。ただし新しい母と一緒に。そして新しい母のもとに、弟と妹が生まれる。かといって、差別やいじめを受けていたわけではない。母は、先妻の子である僕と自分の腹を痛めた子どもたちを分け隔てなく育てようと努めていた。

 僕にとっても弟は弟であり、妹は妹である。ときには怒ることもあるし、困っていれば助ける、それは兄として当たり前のことだった。ある日、弟が僕の魚の網を破ったので、怒って殴ったら、母は僕にこう言い放った。「買って返せばいいんでしょ!」。この言葉は、記憶の奥深くにとどまり、今なお消えてはくれない。

 戦争が終わってしばらくすると、僕の家はパンパンハウス(当時、売春宿をそう呼んでいた)になった。電車で2つ向こうの駅に遊郭があったのだが、そこのお姐さんたちが出張してくる。今にして思えば、当時はレイプも日常茶飯事だったから、パンパンハウスは一面でその防波堤のような役割を担っていたのかもしれない。

 ただ困るのは、僕が寝ているその部屋へ、母は客を入れてしまうことだった。そんなとき、もう僕は寝たふりというよりは、死んだふりをしているに近い。息を殺し自分の存在を消して、ひたすら時間が過ぎるのを待っているしかない。子どもだから、どうせわからないだろうと思ったのかもしれない。でも同時に、義理の母だから、あんなことができたのだろうかという思いもぬぐい去れない。

 親戚を転々としているとき、子どもながらに自分は歓迎されていないという空気をずっと感じ取ってきた。そして、やっと自分の家に戻れてからも、ふだんは自らを律している母の本音を、僕はときおり垣間見てしまうのだった。実の父をはじめ誰にも言えなかったけれど、きっと僕は寂しかったのだと思う。

 戦争をしている間は、天皇陛下のために死ぬんだというのが、幼稚園の頃から叩き込まれてきたにもかかわらず、終戦とともに、あれは何だったのかというくらいゴロッと世の中が変わってしまう。そういう体制のいい加減さも感じずにはいられなかった。

 僕には、自分がだれかから受け入れられている実感がまったくなかったのだ。家族にも、そして日本という国にも。そんな僕にとって、社会は偽りの建前で成り立っているとしか思えなかったのである。

 僕が27年間撮ってきた作品に対して、そのアイデアや企画性をほめてくれる人がいる。それ自体はとてもありがたいことだ。でも、本当はアイデアなんかじゃない。最初から企画しているわけでもない。演技や偽りではないセックスを、自分がのぞきたいだけなのだ。それは僕という人間に社会性が欠落しているからこそ、本能的なものがそうさせているのだろう。

 その結果、僕なりに見えてきたこともある。セックスをずっと撮りつづけていながら、こんなことも知らなかったのかという驚きとともに。それを、これからこのブログを通してみなさんに伝えられたら、と思っている。


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現場で僕を突き動かしているのはオスとしての本能
 

2008年12月05日