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週刊代々木忠

正月とクリスマス
 
 きょうはクリスマス・イブ。でも、それは後まわしにして、まずは正月の話から。

 僕が覚えている正月といえば、三が日はどこに行ってもお店が開いていなかった。開いているのは、初詣に行った先に並んでいる露店くらいだ。だから正月といえば、町全体が何もしていない、日常とはまったく異なる独特な空気感に満ちていた。

 僕が子どもの頃、九州小倉では正月に宝引(ほうびき)が行なわれた。掘り炬燵に子どもも交えて近所の人々が集まり、人数分用意した太目の紐を、親役の者が束ねて握る。紐はそれなりに長い。親は鉛の指輪のようなものを握ったうちの1本に通す。ただし束ねて握っているから、どれに通ったかは見ていてもわからない。親以外の者は好きな紐を1本ずつ選び、親とは反対側の端をつかむ。みんなが選んだあと、最後に残った1本が親の分である。そうして親が握る力を緩めると、通された鉛の指輪は紐をつたって落ちてゆき、勝者の手に渡るというものだ。子どももいるので、大した額ではないけれど、1回5円とか10円を賭けた記憶がある。勝った者はそれがもらえる。

 でも、宝引が楽しかったのは、勝てば幾ばくかのお金が手に入ることではなく、ふだんは見せない顔を大人たちも見せてくれることだった。そこには親しみとともに正月特有の雰囲気が醸し出されていたのである。

 特別といえば、どんな悪いヤツでも、正月だけはいい子になってしまったような気がする。やはり神様の前で神聖な気持ちになるからだろうか。それは親から子へ肌で感じながら受け継がれていった。

 僕は毎日仏壇に線香をあげて掌を合わせる。たまたま孫が遊びに来ているときは、3歳の孫も僕の横に立って、神妙な顔で掌を合わせている。これは最初、鈴(りん)を鳴らす音につられて僕にじゃれついてきたとき、ふだんと違って僕が取り合わないまま掌を合わせていたからだろう。それが何度かくり返されると、孫なりに何かを感じ取ったのかもしれない。このように畏怖すべき存在を意識することが、人間には必要だと僕は思う。

 つまり、僕にとっての正月とは、神聖な気持ちとともにまっさらになって、一から出直す、大切な節目なのであり、それが若い世代へと受け継がれていくものだった。

 しかし、正月の特別さも年々稀薄になっている。コンビニはもちろんのこと、スーパーでも元日から営業している店がある。かつてと違って、町はぜんぜん休んでいないのだ。今の若い人たち、とりわけ恋人たちにとっては、正月よりもクリスマスのほうが重要なイベントなのかもしれない。

 先週それとなく下の娘に「そういえば、クリスマス・イブは家で一緒に食事ができるかい?」と訊いてみた。娘は何も答えなかった。なによりの答えである。今つきあっている彼と一緒に過ごすのだろう。クリスマスが正月に取って代わったとしても、若い人たちが日常とは異なる節目を味わうのはいいことだと思う。

 とはいえ、バレンタインデーと同様に、クリスマスはどうしても企業の戦略に乗せられている感が否めないのだけれど、これは僕が年を取ったからだろうか……。


(*「週刊代々木忠」は2週間お休みをいただきます。次に読んでいただけるのは1月14日になります。みなさん、よいお正月、そしてよいお年をお迎えください)
2010年12月24日