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アテナ映像

週刊代々木忠

僕たちは人間か? 機械か?
 A 「人々はみな機械だ。外からの影響だけで動いている機械なのだ。彼らは機械として生まれ、機械として死ぬ。野蛮人だろうが、知識人だろうが関係ない」

B 「人間は機械であることをやめることはできるのですか」

A 「それにはまず機械を知る必要がある。機械が自分を知れば、それはもう機械ではない。少なくとも、以前のような機械ではなく、すでに自分の行動に責任をもちはじめている」

B 「人間は自分の行動に責任をとっていないということですか」

A 「人間は責任をとる。機械が責任をとらないのだ」


 政治にしても経済にしても、報道されるニュースを見れば、自分の意思がどこにあるのか疑いたくなる人たちや、責任などさらさら取るつもりがなさそうな人たちが、毎日これでもかっていうくらい登場してくる。それはニュースの主人公たちばかりでなく、僕たちの日常をふり返ってみても、「機械」と化した人間を見つけるのはそんなに難しいことではない。

 ところで、冒頭に引用した文章は誰と誰のやりとりなのかというと、「A」はロシアの思想家G.I.グルジェフ、「B」はその弟子にあたるP.D.ウスペンスキー(P.D.ウスペンスキー著『奇蹟を求めて』〈浅井雅志訳、平河出版社刊〉より抜粋)。これは今から約100年前に交わされた会話である。100年前といえば、ほとんどすべての人が生まれる前だ。そのときからグルジェフは「人々はみな機械だ」と断言している。

 生まれたときから「機械人間」の社会ができていたとすれば、外部からの知識や情報をインプットしなければ動けない人間が育つのも致し方ない。そこには主体的な行動が伴わないから、体験を通しての実感もない。それは情報を発信している側も同様で、自分の体験からものを言っているわけではない。寄せ集めの情報や、頭の中だけで構築した机上の空論、もっといえば根拠そのものが怪しい情報も罷(まか)り通っている。現代人が生きるうえでぶつかる多くの悩みの深層は、こんなところにあるのかもしれない。

 撮影現場で、僕は女の子はもちろんのこと男優にも、「こうしてくれ」という指示はほとんど出さない。自発的に起きてくることを撮りたいからである。本人にゆだねてしまうと抵抗が起きたりするけれど、それはそれで面白い。抵抗が葛藤として、いっそういやらしさを醸し出す場合もあるし、人間はこんな反応をするんだという新たな発見もある。僕が撮りたいのは「機械のカラミ」ではなく「人間のセックス」なのだ。

 アダルトビデオを初めてから、僕はずっとそんな撮り方をしている。「ぶっつけ本番」「出たとこ勝負」は現場のみならず、僕の生き方そのものでもある。したがって、失敗も数え上げれば切りがない。だが、痛い思いをしたぶん、僕のような人間でさえ身をもって何かを学ぶことにはなる。もしも自分への自信があるとすれば、僕にとっては体験を通して得たものくらいしかない。それは外部から入れた知識や情報ではないからだ。

 とかく現代人は考え、そして悩むことが多いけれど、自分の心に忠実になり考えないまま行動を起こしてみるのも、たまにはいいものだ。きっと責任はしっかり取らされるだろうが、それは「人間」にしかできないことなのだから。

2012年02月03日