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アテナ映像

週刊代々木忠

僕がギャンブルをしない訳
  事務所のすぐそばにJRAのWINS(場外馬券場)があるけれど、一度も買ったことはない。九州の生家の目と鼻の先には小倉競馬場があった。小学生の頃からアルバイトで競馬新聞を売りさばき、中学生になると予想屋も何度かやった。同級生の父親が調教師をしていた関係で情報は手に入ったし、予想もそれなりに当たった。そういう意味で、競馬は僕にとって身近な存在だった。

 にもかかわらず、競馬をしないのには身近ゆえの教訓もある。家の隣がお寺だったが、競馬のある日に境内で首をくくる者が後を絶たなかった。その現場を小学生のときに一度見たことがある。その人は枝ぶりのいい高いところからぶら下がっているのではなく、低い枝に首だけかけて腹這いのような姿勢で事切れていた。こんな格好でも人は死ねるんだと思った。と同時に、競馬に負けたらこんなふうになっちゃうんだとも、子どもながらに思ったのである。

 20代の前半、興行をしていた頃だが、神戸で花札をしたことがあった。ちょうどストリップの集金に行ったついでだった。ついでのつもりが、結果的には3日3晩ろくに寝ないで興じることになる。だれも降りない。集金したカネは、あっと言う間になくなった。手元になくなれば「いくら回して」とツケがきく。

 負ければ負けるほど、どうにかして取り戻そうと深みにハマり、借りはどんどん増えていった。結局、僕は800万円近く負けた。僕以外はシャブを打ちつつだから冴えわたっており、冷静に考えたら勝てるはずがないのだが……。このときの借金は1年近くかけて返した。もう賭け事はやめようと思った。さすがに懲(こ)りたのである。

 その後にやったのは麻雀くらいだ。だが、これもかつて経営していたプロダクションに愛染が入ってきた頃やめた。麻雀はいったん始めると長いし、途中1人だけ抜けられないというのもあり、すでに入っていた予定や約束も変更せざるを得なくなる。そしてなにより不健康だ。じっと座ったままだし、寝ないで続けるし、カリカリくるし、タバコの本数は増えるし……。まずいなぁーとは、ずっと思っていた。ところが、映画づくりのほうが面白くなって、気がつくとやめていた。

 自分が今やらないからといって、ギャンブルを否定するつもりはない。あの高揚感は人を魅了する。たとえば月曜から金曜まで働いて、土日に趣味としてたしなむぶんにはストレス解消にもなるだろう。そうやって無理のない範囲で楽しんでいる人たちはたくさんいる。

 しかし、現在ギャンブル依存症で苦しんでいる人も、最初はそうやって始めたはずである。無理のない範囲内と範囲外――その境界線を本人が自覚するのは難しいのかもしれない。ついでのつもりで始めて800万負けた、当時の僕のように。依存症になる人とならない人、いったい違いはどこにあるのだろうか?

 依存してしまう人の根っこには、いまだ中和されていない過去の何かが残っているように僕には見える。過去の何かとは、たとえば幼少期に負った心の傷だったり、孤独感や寂寥感だったり、欠落感だったり……。それらを日頃から意識している人もいれば、意識下に閉じ込めている人もいる。だが、いずれにしてもギャンブルに熱中しているときには解放され、代わりに高揚感で満たされる。

 本能は快を求める。もともとそういうふうにできているわけだから、ギャンブルが快のすべてになっている人にとって、その弊害をいくらわかりやすく説いたところで、やめるのは難しいというか、無理なんじゃないだろうか。

 自分の根っこにあるものを中和しなければ、その渇望はいつまでも消えない。けれども、依存症になった自分を責める必要はない。根っこに気づき、癒すためには、それも必要だったのだと肯定的にとらえてみるのがいい。そうすれば、ギャンブルに代わる何かがきっと現われる。気づきが起きれば、人は次のステージへ進めるのである。



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2013年04月05日