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アテナ映像

週刊代々木忠

自分を出せない言葉
  「なんもそんでねして、バレーボールのバレー。こう中腰になるばな。こういうふうにして、こごの内腿と内腿さ力入れちゃさ。こごの中腰さ、こう力入るばな。こごの股ぐらもさ力入るばな。でこうボール受けるときにこう中腰のまま待つべな」
「おお、いいな、すごく」
「でこごのとこさ力入るあんで、こごのところギュッと締まるばな。なるんだってさ、コーチが言うのさ。この体勢はすごくつればたっておなごとして」
「将来に」
「役に立つときがあるだって!」

 これは2001年の「ザ・面接」の一場面で、青森出身のエキストラの女の子が秋田出身の加藤鷹に話しかけているところだ。彼女に最初会ったとき、訛(なま)りがあった。僕は「みんながわかんなくてもいいから、自分のお国言葉でしゃべって!」と注文をつけたように記憶している。

 いま見返してみても、彼女のエロさは生々しい。それは単に方言をしゃべっているというだけではなく、生き物としての女が出ていると思えるからである。前回、市原についての話の中で「彼は半分ジョークで言いたいことを言ってのける。それができるのは、ひとつには関西弁だから」と書いた。関西弁自体がそういうムードに適しているというのもあるんだけど、青森のこの子と同様に、市原は関西弁をしゃべることによって、人を惹きつけ、心を揺さぶっていると思うのだ。

 先日、あるテレビ番組で自動車ディーラーのトップセールスマンを紹介していた。彼はお客さんと話をするとき、大事な場面では博多弁を使う。そのとき、お客さんは彼に気を許すというか、彼の言っていることを真実と受けとめる。テレビを見ていた僕でさえ、なかなかいいヤツだなぁと思ってしまった。

 セールスマンの彼は意識的に、もっと言えば計算して方言を使っているわけだが、生活に根づいた言葉というのは、それほど人の心にスッと入ってくるものである。きっとそれは長い歴史の中で、人々の心が作り上げた言葉だからだろう。

 にもかかわらず、故郷を離れて暮らしていると、そこが都会ならなおさら、多くの人は方言で話すことにコンプレックスを感じてしまう。それは僕も同じである。東京では九州弁で話すのを恥ずかしいと思い、ずっと標準語を使ってきた。

 だが、標準語は制度の言葉であり、万人に共通な記号みたいなものだ。だから当たり障りない会話や建前の話をするのなら都合がいいが、本音を伝えようとしたら、方言のようなダイレクトさはなく、そこにはワンクッションあるように感じる。要するに、本当の自分をそもそも出しにくい言葉なのである。

 いま若者たちは、恋愛がうまくいかないとか、コミュニケーションがとれなくなっているとか言われるけれど、都会も地方も日本じゅうで画一化が進み、みんなが標準語を話すようになったことも、その大きな原因のひとつじゃないかと僕は思っている。



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2013年05月03日