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アテナ映像

週刊代々木忠

亡くなった友人からのメッセージ
  「女性のための愛と性の相談室」の中の〈誰にも聞けない悩み相談〉では、すでに掲載した女性だけで25人。そのうち、スピリチュアル・カウンセラーの早坂ありえさんに入ってもらっている相談は全体の3分の1ある。ありえさんには、おもに相談者の過去生との関係を見てもらったり、守護霊を代えてもらったりしている。編集段階でカットしているが、これまで相談の場に相談者とは無関係な霊が来ることもたびたびあった。

 その霊の多くは、亡くなった僕の友人たちだ。話したいのはヤマヤマだけれど、相談者そっちのけで霊と思い出話に興じるわけにもいかない。そこで先日、悩み相談が終わって相談者がお帰りになったあと、ありえさんにあらためて彼らを呼んでもらうことにした。次の映像はその一部である。



 興味深い部分は、故人のプライバシーもあって見せられないのが残念だが、紀世や長さんが、当時を知らないはずのありえさんを介して伝えてきた内容は、事実とほぼ一致していた。

 じつは僕には、もうひとり話をしたい友人がいた。ペンネームを東ノボルという。アダルト業界では名の知れたフリーの編集者でありライターだった。本名を笠原一幸という。笠原さんの紹介で知り合った女性・泉みゆきを撮った作品に「多重人格、そして性」がある。それを本にしたのが『マルチエイジ・レボリューション』だ。

 当時、笠原さんはみゆき以外に何人もの多重人格の子たちの面倒を見ていた。たとえ自分の締め切り間際でも、「手首を切った」「クスリを飲んだ」と聞けば素っ飛んでいった。

 そんな笠原さんがある日、緊急入院することになる。最初見舞いに行ったときには集中治療室にいた。でも1週間後には、一般病棟のベッドの上で原稿の手直しをしていた。僕は撮影で千葉に行く途中だったから「帰ったらまた寄るけど、きっともう退院してるよね」と言って病室をあとにした。

 それが彼と交わした最後の言葉になった。千葉で「笠原さんが亡くなった」という電話を受けたのだ。嘘だろ、そんなのありえないよ……と僕は思った。笠原さんが亡くなってから、彼が面倒を見ていた多重人格の子たちは、僕に連絡を寄こすようになる。あまりに突然のことだったから、引き継ぎもないままに……。あれから丸14年である。

 彼が亡くなって何年かして、みゆきは結婚し、子どもが生まれた。みゆきからもらったメールには、その子の誕生日が笠原さんの命日と同じだとあった。「この子は笠原さんです」と綴られている。いつかその子に会えたら「やっと会えたね、笠原さん」と言ってやろうと思っていた。

 だが、今回ありえさんの見立てでは、どうやら笠原さんはまだ霊界にも行っていないようだ。笠原さんの思いを聞いてもらう。ありえさんは「こう言ってるよ」と言ったあと、彼の言葉を続けた。「監督、なぜ俺、死ななきゃいけないの? まだ途中なんだよ。監督と一緒にやってたこともできなくなっちゃったし……」。

 今から18年ほど前、日本に多重人格者は10人そこそこと公的機関が発表するなか、僕らは10人以上の子たちと連絡を取り合っていた。「統合」ということが当時から言われていたが、社会に適合できる人格だけを残してあとは……。これは統合じゃないんじゃないかと僕らは話していた。虐待と人格解離の連関を検証したい、治癒する方法論を見つけたい、そしてこの現実を世の中に発信しなければならない、そんな一念で僕らは地道な作業を続けていた。

 笠原さんの分まで僕が引き受けるようになったことについて、ありえさんは彼の思いを口にした。「悪いと思ってるけど、でも、悪いと思ってない。それは監督にとってもやりがいのあることだったと思うから」。確かに彼の言うとおりである。

 「でも、ああなって、監督も生身の人間だと思った」。僕自身がひどい鬱になり、それまで連絡を取り合っていた子たちとの関係を一方的に終わらせたことを言っているのだろう。そのとき、僕は彼女たちから偽善者だと非難された。「あそこで自分がなんの力にもなれなかったことは申し訳ないと思ってる。本当は自分がやりたいけど、体がないから……」。

 しばらくして、ありえさんが「気にしてる仲間がいるみたいね」と言った。咄嗟に水津さんかもしれないと思った。それは、笠原さんに編集やライティングを一から教えたアダルト業界で有名な人物である。アダルトビデオという呼び名も彼が名づけ親だったはずだ。

 「水津さんに伝えることがあれば聞いておくけど」と言うと、「ありがとうって言ってほしい」と。「きつかったけど、やさしかった。すべてを学んだつもりでいたのに、まだまだだった。なのに、俺のほうが先に逝っちゃった。せっかく教えてくれたのに申し訳なかった」と。

 最後に笠原さんは「死んでいいこともあった」と言う。そのひとつは、思ったところに瞬間移動できること。もうひとつは過去生からの因果が見えること。そうすると、生きているときには不可解だったことも解けてくるのだそうだ。

 紀世や長さんや笠原さんとの対話を終えて、こんな形で亡き友や亡き肉親と気軽にコミュニケーションが取れたなら、きっと人々の死生観は大きく変わるに違いないと僕は思った。死生観が変容すれば、すなわち生き方も変わるということである。



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2013年05月17日