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アテナ映像

週刊代々木忠

才女に起こったチャネリング
  現在、明治大学の国際日本学部で准教授をされている藤本由香里さんが書いた『快楽電流------女の、欲望の、かたち』(河出書房新社、1999年刊)という本に、僕の作品を見たときの体験を書いた箇所がある。ちょっと長くなるが、「駆け抜けた快感のエネルギー」という項をそのまま引用させていただく。

〈それは、突然にやってきた。
 見ていたのは『性感Xテクニック・処女』。この作品の冒頭に、たまたま事務所に遊びに来ていたひかるちゃんという女優が、「せっかくだからヒビヤン(日比野達郎)と感じあってごらん」と言われ、日比野と着衣で抱きあう場面がある。しかし、着衣のままにもかかわらず、昂ぶってきた彼女の声は、しだいに切迫の度を高めていく。「アッ、アッ、アッ、ア------ッ!」------「これは本物だ!」。そう思った瞬間、あろうことか、なんと......私も同時にイッてしまったのである!
 何が起こったのか、私にもほとんどすぐには信じられなかった。断っておくが、別に私は、それを見ながらマスターベーションをするとか、そんな不埒なことをしていたわけではない。それになんといってもビデオの冒頭である。エッチな気分になる暇などない。誓って言うが、私は代々木監督の作品を見るのはそのときが初めてで、来週監督と会えるというので一本ぐらい見とかないと悪いだろうと思い、近所のビデオ屋で借りてきただけのことだったのである。
「エ------------ッ!!!」。今しがた駆け抜けた快感で、まだ身体をピクピクさせながら、私は一生懸命、今起こったことを理解しようとしていた。それは、セックスのときのイキ方とも、ポルノグラフィーを読んでエッチな気分になっていくイキ方とも、明らかに違っていた。セックスのときはもっと、追い上げられるような感じがあり、どこか「苦しい」という感覚が混じっている。つまり、身体や心がイクことに抵抗しているにもかかわらず突き抜けてイクという感じなのだが、今のには抵抗感がまるでない。ただ快感のエネルギーが頭の先から足の先までズドーンと駆け抜けていったという感覚である。また、ポルノを読むときにも、どこか息苦しくなるというか、精神がだんだん平たく押し潰されていって、ついに狭いところを通り抜ける、という感覚があるのだが、これはまったくその引っ掛かりがない。ただもう純粋な快感だけなのだ。
「あ~気持ちよかった」。私はまだピクピクしながらそう思った。性的に「気持ちがいい」という語彙を初めて純粋に、自分のものとして獲得したように思った。まったく、こんなイキ方があるなんて!〉

 ここに藤本さんが書いているのはチャネリング現象だが、なぜそれが起きたのかを僕なりに説明してみる。

 まずはじめに、藤本さんは信じられない映像に触れたのだと思う。着衣のまま抱き合っているだけでイッてしまうというのは、体験はもとより知識のデータベースにもなかったはずだ。「こんなのはあり得ない!」。きっとそう思ったことだろう。しかし、映像の中ではそれが起こっている。そして当の自分は今それを見ている。演技やヤラセを疑ってみても、目を皿のようにして見れば見るほど、真実にしか思えない。

 文章にすると長ったらしいが、瞬時にこういった分析と検証がなされ、藤本さんの頭脳は「判断不能」という結論を下した。判断不能......それが思考のブレーカーを落とすキッカケになったのだと僕は推測する。本能が快を求めても、思考はそれを抑制しようとする。ところが、思考が落ちたとき、抑制から解放された本能センターが、映像の中にある"快感"を、無防備なままで丸ごと受けてしまったのではないだろうか。だからこそ、「H24」の意識階梯で可能なチャネリング現象は起きた。

 やがて興奮の波が静まり、落ちたブレーカーは元に戻る。つまり「H48」の意識階梯にて機能する思考センターのスイッチがONになって、「今のは何だったのか?」と考える。けれども、先の映像同様、藤本さんはわが身に起こったことも理解できない。お互い言いにくいことも言える間柄になった頃、チャネリングについて質問された。おそらく僕は今書いたような意味のことを話したはずである。でも、それで藤本さんが納得したかといえば、同書の中の次の文章からも、結果は明白だろう。

〈私は代々木監督の作品を尊敬しながらも、チャネリングに関する氏の説明には完全には承服しがたいものを感じている〉

 表現こそ婉曲だが、要するに納得していないのである。探究心の旺盛な藤本さんは〈自己催眠で説明できるように思っているのだが〉といったんは書きはじめるものの、そのセンテンスを〈うまく説明できない〉で締めくくっている。なにも考えていない状態で自分の意思とは裏腹にチャネリング現象が起きたわけだから、藤本さんの言うとおり自己催眠ではあり得ない。

 東大を卒業し今大学の教壇に立つ藤本さんの知識量に比べたら、僕などは無知もいいところだ。そこに異論はまったくない。だが、前回の江里子もそうだが、知識ベースの人間は、僕のような本能ベースの人間の言うことをなかなか受け入れようとはしない。とりあえずオトナの反応として、その場ではわかったふりをしてくれるが、納得していないのは僕にもわかる。

 僕のような無知な人間をも認めてほしいと言いたいのではない。だが、伝えたくても伝わらないもどかしさを感じてしまう。もちろんそれは僕自身の未熟さゆえなのだが......。それはともかく、そうまでして知識ベースの人たちに、本能ベースの僕が今伝えたいことを最後に記そうと思う。

 学校教育、生き甲斐、企業の存続、家族、医療、福祉、老後......現代社会の至るところに、根強い閉塞感というか、行き詰まり感がある。そう感じているのは、当然ながら僕だけではないだろう。

 4月3日のブログで、オクターヴの法則を書き込んだ「エニアグラム」を掲載した。その中で最も外周を回るのは「知性のオクターヴ」だったが、今はちょうど「ミ」から「ファ」に上がろうとして自力では上がれない段階に来ているように思えるのだ。つまり、"万物の本質を表わす"と言われるエニアグラムをひもとけば、現在の行き詰まり感の正体は、実は「思考」の限界であり、人類が今後さらに先に進もうとすれば、「思考」における"手放しの受容"(明け渡し)が求められているのではないだろうか。

 3月6日のブログで、「生き残るためには、しがみつくな。手を離せ。力を抜け」と書いたけれども、手を離すべき最大のものは「思考」だと僕は思っている。「思考」を明け渡すとどうなるのか......については、今後この場でまた書いていきたい。



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2009年05月15日