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アテナ映像

週刊代々木忠

『つながる』がつながって
  拙著『つながる』(祥伝社)を出させてもらったのは2012年3月。ちょうど2年になる。『つながる』が自分のこれまでの本と違うのは、女性読者を強く意識したことだ。

 この本を読んだ女優の中原翔子が、自らプロデューサーとして映画化を企画してくれた。3作品のオムニバス形式で、3人の監督(渡辺あい、深井朝子、安川有果)は全員20代の女性。その話を聞いたとき、僕は女性につながることができたというか、本に返りがあったと実感した。

 なぜ伝わったのか……。おそらくそれは、あの本が頭の中だけで作り出したものじゃないからだろう。読んでくれた方ならおわかりだと思うが、撮影の舞台裏も含めて現場のエピソードをふんだんに入れた。いや、正直に言えば、僕にはその体験くらいしかない。現実に起こった出来事をもとに、なぜそうなるのか、どうすればいいのかを本にした。

 『つながる』映画化の制作陣には、ロフトのイベントにも登壇してもらった。とりわけ中原プロデューサーと深井監督は当日朝にクランクアップし、36時間寝てない状態のまま駆けつけてくれた。

 3作品中もっとも先行している渡辺監督が本の中でインスパイアされたのは、「ザ・面接 お嬢さん、犯ったろか!!」に出演したさゆりというお嬢様のエピソードだと言う。19年前に撮ったものだが、僕もさゆりのことはよく覚えている。

 大学生でありながら、門限9時半をずっと守っているお嬢様。彼女はビデオの中でこう語る。「自由になりたかった、すべてのことから。子どものころからいつも親の監視に苦しめられてきたんです。外をひとりで出歩いていても、誰かにつけられてるような感じがして、行動が抑圧されてるから、精神的にも抑圧されて、つねに追いつめられている。でも、ここまで来たら親も目が届かないだろうって……」。親の過干渉から逃れるためにアダルトビデオに出たさゆりは、そのあと自殺まで考えていた。

 渡辺監督は、さゆりの話を自分の話であり、自分の家族や友人、そして自分の知らない多くの女性たちの話であると感じたと言う。「感電(仮題)」という作品で、若き女性監督がどんな物語を紡ぎ出すのか、今から楽しみである。

 一方、「本の中にあった、本当の大人になるとは『本能が成熟することだ』という言葉に驚き、創作意欲を刺激された」と言うのは安川監督。「本能の成熟」について、僕はこれまで友人たちにも幾度となく話しているが、男の場合は「ああ、そう」とスルーされることが多い。

 「本能」も「成熟」もみんな知っている言葉であり概念ではあるものの、「本能の成熟」と言われると、わかったようでわからないというのもあるのだろう。本能は生まれ持ったものだし、果たしてそれが成熟するのかと。それに大人になる過程で成熟するのは、むしろ理性のほうであり、本能じゃないんじゃないかと。

 ところが、女性のなかにはビビッと来る人もいる。まるで今まで見つからなかったものが見つかったみたいに……。安川監督もそのひとりだろう。ロフトのイベントで彼女とその話をしていると、面接軍団の森林原人が「本能の成熟って、どういうことですか?」と訊いてきた。

 これまでも撮影の日の雑談等で面接軍団には同様の話をしてきたから、今さら何を……という思いもないわけではないが、それにも増して、この場であえてここを訊いてくるとはさすが森林だなと思った。僕は壇上で「本能の成熟」について簡単に説明した。でも、森林は腑に落ちなかったようだ。イベントの合間の休憩時間、楽屋で「もう少し詳しく聞きたいんですが」と言ってきた。

 「本能」というのは快を求める。もともとそこに善悪や正邪などはない。ときには手段さえ選ばないのだから。でもそれじゃあ世の中は成り立たないから、「思考」の中にある社会性が「本能」を抑え込んでいる。それを霊長類の長たる人間の証だと言う人もいるが、事はそう簡単ではない。「思考」で抑え込まれた「本能」は、いつまで経っても成熟しない。そればかりか、求めても得られずに鬱積した不快が、場合によっては狂気の行動を誘発したりする。

 「北風と太陽」の寓話ではないが、一筋縄ではいかない「本能」を力ずくで抑え込むのではなく、育てたほうがいいと僕は思っている。本来ならば赤ん坊のころ、お腹が空いたり、オムツが濡れたりと不快になれば泣き、それをお母さんがおっぱいをくれたり、オムツを取り替えてくれることで、不快は快へと変わる。この充足のくり返しこそが、「本能」を育ててゆく。

 「自分は必要とされている人間なんだ」という自己肯定感を大きくするし、さらに成熟すれば、わが身のことだけでなく、おのずと他者を思いやったり、慈しんだりできるようになる。僕はそれを「対人的感性」と呼んでいるが、「対人的感性」が機能すれば、人の痛み、苦しみ、そして歓びを共有できるようになるのだ。

 そして、求めることを相手にしてあげてこそ、じつは自分が得られるという事実に人は気づいてゆく。人間のいちばん大切な部分が忘れられて久しいけれど、口には出さずとも、みんなどこかでそういうものに飢えているんだなぁと思う。

 女性たちが奮闘のすえに作り上げた映画をきっかけにして、人と人とのつながりが広がってゆくことを祈っている。



2014年03月28日