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アテナ映像

週刊代々木忠

2015年をふり返って
  2015年もあとわずか。今年はいったいどんな年だったのだろうか。1年をふり返る番組が多数あるはずだから詳細はそちらに譲るとして、僕は2つのことについて書いてみたい。

 まず1つが地球温暖化である。「ああ、それなら知っているよ」と言う人もたくさんいるだろう。「極地の氷がとけて海面が上昇するんでしょ」と。でも「海面が多少上がったところで自分には影響ない」などと言ってはいられない状況なのである。温暖化によって地球の気候が明らかにおかしくなっている。

 たとえばアメリカ(サウスカロライナ州)では1000年に一度の大洪水が発生したり(10月)、インド(タミルナド州)では100年に一度の豪雨に見舞われたり(12月)、中東のイエメンでは2日間で5年分の雨が降ったり(11月)、サハラ砂漠でも数十年見られたことのない豪雨で洪水が発生したり(10月)……。

 雨ばかりではない。パキスタンでは熱波によって死者が700人に上ったが、同じ頃ニュージランドは歴史的な寒波に襲われたり(6月)、北半球に限ってもアメリカ中西部で49度を記録するなか、オランダでは観測史上最低気温を記録したり(6月)、記録的な熱波が続いたアラスカでは300カ所の山火事が発生したり(6月)……。

 日本でも、記録的な大雨により鬼怒川や渋井川が決壊したり(9月)、東京都心の猛暑日が連続記録を更新したり(8月)、暴風雨がやんだと思えば冬なのに夏日になったり(12月)、竜巻も各地で発生した。竜巻なんて、僕らが子どもの頃には聞いたこともなかったのだが……。このように気候は激化している。今までではありえないことが、そこかしこで起きているのである。

 今年をふり返ったときに思う、もう1つはテロである。フランス同時多発テロ(13日)、ナイジェリア自爆テロ(17日18日)、マリ・ホテル襲撃(20日)、カメルーン自爆テロ(21日)、エジプト・ホテル襲撃・自爆テロ(24日)。これらはいずれも今年の11月に起こったテロ事件である。同時多発テロを受けて、フランスのフランソワ・オランド大統領は「これは戦争だ」とスピーチした。これまで何度か書いてきた“ピラミッド型”の力学が働く従来の国家であれば戦争にもなるだろうが、今その相手の姿は見えない。

 テロの質が変わってきている。これまでテロの根底には貧困があった。だから貧困をなくせばテロは減るはずだった。ISはこのテロを「イスラム軍と十字軍の戦いだ」と言う。十字軍といえば、中世ヨーロッパのキリスト教徒が聖地エルサレムをイスラム教徒から奪還するため結成した遠征軍だ。ということは、貧困を埋めれば済むという話ではない。ISは「その十字軍に日本も加担した」と言っている。現実に犠牲者も出てしまった。中世から続く他国の確執に首を突っ込む前に、日本はもっと違う道もあっただろうにと思わざるを得ない。僕らにはどうにもならないところで事が進んでいる気がしてならないのである。

 先ほど「相手の姿は見えない」と書いたが、従来ならば国や組織のヘッドをやれば、あとはコントロールできたはずだ。だが、12月にアメリカで起きた銃乱射事件も(現在までの報道を見るかぎり)IS支持者の犯行ということで、誰かから命令を受けてやったのではなさそうだ。ああいうことがアメリカに限らずあちこちで起きている。何かが共鳴しはじめているのである。くり返される空爆は「十字軍の身勝手さ」をいっそう彼らに植えつけ、新たなテロを生み出すだけではないのか。

 気候変動とテロ。どちらも今までのパターンとまったく異なる展開、予測不能の事態であるが、共通項はそれだけではない。気候変動もテロも人間の「エゴ」に起因しているように僕には見える。

 たとえば、地球温暖化を緩和する手立ては、みんなわかっている。温室効果をもたらす気体の排出量を抑えればいいのである。先週までパリで地球温暖化対策を話し合う首脳会議(COP21)が開かれていた。しかし、CO2の削減目標1つをとってみても、各国で駆け引きをやっており、首脳たちはこれで本当に危機感を持っているのか、所詮は自分の国に対する点数稼ぎじゃないのかと思えるようなものだった。最後にパリ協定が採択され、歴史的快挙とばかりに会場は拍手歓声に包まれたものの、結局CO2の削減目標は各国バラバラで協定には法的拘束力もない。

 テロにしても、貧困をなくせばと言われながら、なぜ今なお格差の問題が埋まらないのか。そこにも人間の、あるいは社会のエゴがある。それが「イスラム軍と十字軍の戦い」に変わったとしても、宗教戦争自体、エゴが生み出したものに他ならない。エゴは相手の気持ちを察することができないし、察しようともしない。人は自分たちのエゴが作り出したものにかくも縛られ、なかなか途中で方向転換できないのである。

 このように、どうにもならないもどかしさを感じつつ、年の瀬を迎えようとしている。性を撮っている立場から言わせてもらえば、オーガズムとはエゴの死であり、自分を縛るものからも自由になれるのだけれど……。



(*「週刊代々木忠」は年末年始のお休みをいただきます。次に読んでいただけるのは1月22日になります。どうかよい年をお迎えください)
2015年12月18日