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アテナ映像

週刊代々木忠

トランスとは何か?
  僕はこれまで「トランス」という言葉をしばしば使ってきた。それはオーガズムを語るときであったり、催淫に関する話であったり……。僕の文章を読んでくれた人は、きっと文脈の中で意味を理解してくれたはずだが、それでよしとし、僕はことさら「トランス」の定義はしてこなかったように思う。そこで今回は「トランス」の話である。

 視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚を「五感」というけれど、日々僕たちは五感によって多岐にわたる情報を知覚している。いかにも胡散臭いものなら話は別だが、自分の目で見たもの、耳で聞いたことを、とかく人は真実と信じ込んでしまいがちだ。しかし、本当に真実なのだろうか。

 精神を集中して自己の本性や真理を観察することを「内観」というが、内観するには外部からの情報、つまり五感をいったん遮断する必要がある。僕はこの外部から遮断された状態、五感から解放された状態こそが「トランス」であると考えている。たとえば音や匂いがあったとしても、そこに意識が行っていない状態。ゆえに、ないに等しい状態なのである。クルマのギアに例えるならニュートラル。どこにもギアは入っていない。

 このようにトランスに入るとは自分の内側に入ることだから、本人も忘れていた過去の出来事がよみがえったり、今まで気づかなかった真実が見えてきたりする。先に「見たもの、聞いたものを真実だと信じ込んでしまいがちだ」と書いたけれど、自らの思い込みや他者の作為、親や社会からの刷り込み等々によって、客観的に見える情報もあらかじめ歪められていることが多い。だからこそ、それらからいったん自由になったとき、初めて真実は立ち現われてくるのではないだろうか。「ああ、そういうことだったのか」と。

 話はちょっと飛ぶが、仏教の意識作用に「眼識、耳識、鼻識、舌識、身識」というのがあり、これらを「五識」という。順に「視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚」と対応しており、「五識」は「五感」と同じだ。では次の「六識」は何かというと、「意識」なのだという。僕たちが使う「意識」と同じ意味だが、たしかに「意識する」ということは「見たり」「聞いたり」「嗅いだり」……とは別物である。

 そして「七識」が「末那識(まなしき)」、「八識」が「阿頼耶識(あらやしき)」。どちらも耳慣れない言葉だが、「末那識」とは「潜在意識」のことである。「阿頼耶識」のほうは「個人個人の潜在意識をつないでいる根っこみたいなもの」だと僕は理解している。カール・グスタフ・ユングなら「集合的無意識」と言うのかもしれない。

 さて、ここまで読んで「六識」とは「六感」でもあるわけだから、「第六感」の正体が「意識」だと言うと、なにか物足りないというか、肩すかしを食ったように感じる人もいるかもしれない。「第六感」には物事の本質を見通す超能力のようなニュアンスがあり、そういう文脈で使われるのが常である。

 だが、僕はこう思うのだ。「第六感」とは五感の縛りから自由になった意識が、自らの潜在意識から、そして場合によっては他者の潜在意識ともつながっている大本(おおもと)から何かを得るということなのではないかと。だから厳密に言えば第六感とは、じつは七識、八識のことを指していると思うのである。

 話を「トランス」に戻そう。仏教の意識作用に照らせば「トランス」は六識の「意識」だが、そこはほんの「入口」に過ぎない。ただし、それまで自分が気づけなかった物事の本質、真の姿を見せてくれるとても重要な入口なのである。
2016年01月29日