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アテナ映像

週刊代々木忠

南相馬へ(後編)
  吉村卓、片山邦生、森林原人、そして僕の4人は、市会議員の但野謙介さんとNPO法人の田中章広さんから南相馬市の現状について話をうかがっていた。場所はとある会社の会議室。たぶんお二人が知っている人の会社で、僕らのために場所を提供してくれたのだ。

 うかがった話のなかで、僕が特に印象に残ったいくつかを紹介しよう。復興に向けて町は除染をはじめいろいろな工事や作業が急ピッチで進められている。南相馬インターを降りてまず僕らが感じたのも、行き交うダンプの多さだった。いろいろな都道府県のナンバー。全国から1万人近くの作業員がやってきているのだという。

 復興に尽力してくれている彼らに感謝しつつも、複雑な思いが拭い去れない実情を聴いた。手を引っぱってワゴン車に連れ込まれそうになったり、コンビニの前で酒盛りをしている作業員たちから誘われたりなど、外部から来た人間との間にさまざまなトラブルが起きている。

 現場作業員の宿舎に近いコンビニでは、ある時期、女性従業員が1人もいなくなったそうである。僕らが昼食をとろうと探しても、店がなかなか見つからなかったのは、女性の働き手が減っていることもその一因だったのだ。

 福島出身というだけで謂(いわ)れのない風評被害を受けている南相馬の人々にとって、度重なるトラブルで「作業員だから」と人を色眼鏡で見ることは、本当は誰よりもしたくないだろう。しかし、復興支援の一員として過酷な環境下で働く彼らが性的な部分も含めてストレスを溜め込んでいるのは否めない。事実、今の南相馬には息抜きできるような場所がないのだ。

 田中さんが言う。あまり大っぴらには言えないことだけど、風俗が必要なんじゃないかと。風俗店は仙台市にまで行けばたくさんある。だが、その距離50キロ。県内の福島市内にもあるにはあるが、海側に位置する南相馬からは山を越えなければならない。

 住民同士の問題もなかなか深刻である。南相馬市の約3分の1のエリアが福島第一原発20キロ圏内になり、残りの3分の2が圏外だ。現在、同じ避難生活を余儀なくされている人々の間でも、家がどこにあったかで、たとえそれが目と鼻の先であったとしても東電からの賠償額には大きな差がつくということなのだ。

 ネットでも書かれているが、仮設住宅の駐車場にはBMWやレクサスなどの高級車が並んでいるそうである。日がな一日パチンコに明け暮れる人もいる。震災で家族を亡くし、家も財産も失った人にとって、補償が生きるために必要なのは言うまでもない。それで本当に助かっている人がいる。だが、一部の人には賠償金が労働意欲の低下を招いているのも事実だという。それを単に心の弱さだと片づけられはしないだろう。突然の喪失、そして支払われるカネという組み合わせが、結果として人の心を荒廃させてしまっている。

 お二人から話をうかがったあと、ワンボックスカーで市内をまわっていただいた。しばらく車窓には何もない風景が続く。もとは田んぼだったのか、家が建っていたのか……。言われてよく見ると、地面にコンクリートの基礎がポツポツと残っているのがわかる。そこにはかつて家族の生活があったのだ。花が供えられているところもあった。

 そして、黒い土嚢(どのう)をよく見かけた。除染廃棄物である。仮置き場になっているのだという。それらは除染作業が進んでいることの証であると同時に、余所では引き取り手のいない原発事故の傷跡にも見えた。

 ワンボックスカーは話をうかがった会社の駐車場に戻り、そこで僕らはお二人と別れた。東京に向かってクルマを出そうとしたとき、但野さんが回り込んできて「南相馬から(常磐道に)乗ると渋滞していて時間がかかるから、ひとつ先(東京寄り)の浪江インターから入ったほうがいいですよ」と教えてくれた。

 国道6号を南下し、知命寺という交差点で右折すると国道114号に入る。福島に向かって山を越えていく道だ。右折した交差点は福島第一原発から7~8キロの距離。114号に入ると対向車はなくなった。ちょうど日が暮れてきていた。街燈の消えた道の両側には家々が建ち並んでいる。薄暮の中であっても、屋根のシルエットと白い壁だけがかろうじて見えた。

 しかし、どの家にも電気は灯っていない。そして通過する四つ角は、鉄パイプで組んだバリケードで塞がれている。バリケードにはLEDの小さな赤色灯が取りつけられており、それらがチカチカと点滅をくり返していた。その向こうには黒い山並がそびえている。

 山に入るとパトカーの回転灯が見えてきた。パトカーの停まっている三叉路を左折すると常磐道の乗り口があった。浪江インターである。高速の灯りがあんなに眩しく見えたのは生まれて初めてだ。けれども、それは僕らがふだん見慣れたはずの灯りだった。
2016年03月18日