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アテナ映像

週刊代々木忠

連帯感の装置
  先週のYahoo!ニュースで「EDM」が紹介されていた。読んだ人も多いだろう。若い人なら実際その会場に行った経験もあるかもしれない。Yahoo!の記事によれば、「EDM」とは「エレクトロニック・ダンス・ミュージック」の略で、ここ2年あまり20代に人気を博している新たなムーブメントのフェス(音楽祭)なのだという。

 その動員数たるやフジロックやサマソニにも迫る勢いで、ハコもスタジアムや海浜公園といった大規模な屋外施設だったり、比較的小さな屋内会場だったりと、さまざまである。ただし、従来のフェスと決定的に違うのは、生のヴォーカルやバンドがいないことだ。いるのはDJのみ。

 DJがあらかじめデータを準備し、ステージでそれを再生する。スクリーンが設置された独特なステージ、レーザー光線などの派手なライティング、その他にもスモークや紙吹雪、花火等々、さまざまな仕掛けが用意されて、映像と音がエレクトリカルに連動する。

 会場に詰めかけた若者たちは「みんなで同じ目標に向かっている!」とか「ここにいるのは音楽でつながっている仲間だ!」と口々に言う。そしてDJが登場すると、彼らはスマホで画像を撮り、即座にツイッターやフェイスブックやインスタグラムといったSNSに投稿する。つまり会場のみならず、ネットという仮想空間で体験を共有することがEDMの楽しみ方なのだそうだ。

 僕はこの記事を読んだとき、何かに似ているなぁと思った。何だったかと記憶をたどると、それは何日か前にテレビ番組で見た映画館の光景だった。かかっているのはアニメ作品(タイトルは思い出せない)。スクリーンのキャラクターに向かって、観客である若い子たちが一斉に声をかけている。それもやみくもにかけているわけではない。一糸乱れぬ同じかけ声。かけ声のところではテロップが入るのだ。

 さらに、みんなLEDライトを同一の仕草で振っている。おそらく事前にレッスンをしてきているのだろう。上映が終わり、出てきた子たちをインタビューすると、「私、33回見た!」とか「70回見た!」とか言ってる。同じ映画を、である。

 輸入された個人主義とネットの蔓延が生身のつながり感を希薄にした。今はリアルに人とつながるのが難しい時代だ。つながりたいけど、傷つきたくない。つながるための手順も面倒。そんなとき“連帯感”という名のつながる装置が用意されたら……。

 たとえば、渋谷のスクランブル交差点にワールドカップやハロウィンのときに大挙押し寄せる若者たちも同様の心理ではないのか。EDMにしてもアニメのかけ声にしても、そこで芽生えた連帯感が所詮は虚構なのだとは言わない。しかしハレとケでいえば、それはハレであり、少なくとも日常ではない気がする。

 アダルトビデオの現場でも感じることがある。僕は作りものではないセックスが撮りたい。本来ならば見えないはずの心がつながるセックスだ。だから、女の子にも素を出してほしい。言い方を換えれば、ふだんのあなたが見たいということなのだが、今はそれが見えにくい。

 現場に日常は持ち込まれず、決められたルールの中でオンオフのスイッチが切り替えられる。アダルト業界自体がシステマティックになって、男優は男優で女の子に気をつかい、なかなか奥へと踏み込めない。だからお互い裸ではあるんだけど、生身の人間同士が向き合えているとは言えない状況が横たわっている。

 とはいえ、救いがないわけではない。先日撮った「ザ・面接 VOL.151」の現場で、市原と僕はそれぞれ違う女の子に怒鳴った。僕が怒鳴ったシーンは作品の流れからは邪魔なので編集で落としたけれど、怒鳴られた女の子がそのまま席を立ち、帰ってしまっても不思議ではなかった。ところが、彼女たちはそこから別人のように変わっていった。市原のシーンは残っているので、その子がどう変わったのかは、作品がリリースされたら確認していただけるとうれしい。

 これまでも書いてきているが、今は多次元的な円の時代である。価値観は多様化し、どれが正しいとか間違いとか、一概には言い切れない。ゆえに、ピラミッド型の力学(既成の権威)から一方的に相手の価値観を否定したところで、通じるはずもない。市原や僕の怒りが女の子に届いたとすれば、それはやはり本気で向き合っていたからではないかと思う。そこはまだ通じるんだというのが僕にとっては救いであり、希望なのである。
2016年07月08日