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アテナ映像

週刊代々木忠

アーカイブス007 女にモテる極意
  「ザ・面接 VOL.110」に初出演した二村ヒトシは、AV監督である。彼と以前ある雑誌で対談したとき、「自分を変えてみたいので、面接軍団に入れてほしい」と言われた。

 監督をしている男が、男優として僕の作品に出たいと言う。僕は面接軍団の了承を得たあと、「1本だけじゃあ何もつかめないだろうから、最低でも5~6本出るつもりならいいよ」と答えた。

 ちなみに彼は若くてイケメンというわけではない。歳も40半ばだ。そんな二村が「ザ・面接」では、審査員の女の子全員から絶賛を浴びた。僕はそれをずっと見ていて、ここに“男が女にモテる重要なヒント”がひそんでいると思えた。

 そこで今回は、彼の取った行動と心理を教材としつつ、「いったい女は男のどこに魅かれるのか?」について考えてみたい。

 「ザ・面接 VOL.110」で、二村は吉村卓とともに2番手の山口のぞみ(30歳・キャバクラ嬢)を面接する。2人がかりで山口を愛撫し、昂まってきた彼女が2人にフェラをし、熱(いき)り立つおちんちんを、いよいよ二村が後ろから入れようとしたそのとき、平本一穂によって無理矢理引き剥がされ、先を奪われてしまう。

 その後、つづけて吉村も山口としてしまい、二村だけが取り残される。二村は自分でしごきつつソファに歩み寄り、終わった吉村に場所をあけてくれるよう頼む。こうしてやっと山口の上に乗っかるものの、中折れしてしまう。何度やっても同じなので、僕は「もう審査、行こうか!」と二村を置き去りにした。

 ここで彼の出番は終わりである。まったくいいところがない。読んでいる人は、なんでこの二村が“モテるヒント”なのかと不思議に思っていることだろう。それを説明する前に、なぜ彼が見せ場を作れなかったのかを書いておきたい。

 二村の肩を持つわけではないが、「ザ・面接」という作品は、慣れている男優にとっても少々勝手が違う。ふつうのAVであれば、自分の役割が決まっている。換言すれば、あらかじめ自分の出番が約束されている。ところが「ザ・面接」の場合、自分で判断し自分で行動を起こさなくてはならない。しかも各々にはスピードが要求される。ダラダラしていたら、すぐ他の男優に女の子を奪われてしまうからだ。監督である僕からの指示は一切ない。

 隊長の市原や平本はこのシリーズに100本以上出ており、比較的新しい森林にしてもすでに何十本にもなる。この中に入って一緒にやるというのは、とても難しいことなのだ。

 さらに、二村は単なる新人男優ではない。最初こそ男優としてデビューした経歴を持つが、その後はずっと監督としてやってきた。面接軍団の男優たちのほとんどは彼の作品に出演している。つまり、今まで監督としていろいろ指示してきた男優たちの目の前で、今度は自分が同じ立場でやらなければならない。当然「見せ場を作らなきゃ」という意識が働く。この意識が、最後に山口に乗っかったとき、彼を中折れさせたのだと思う。

 「見せ場を作らなきゃ」という意識は、それまでも言葉の端々に感じられた。面接軍団は絶対に“上から目線”でものを言わない。それは僕が彼らに強く要望していることでもある。二村は初めてということもあり、「見せ場を作らなきゃ」が“上から目線”になってゆく。

 “上から目線”の言葉は社会的だから、女のほうも建て前で対応する。この関係性で二村がどんなに卑猥(ひわい)な言葉なぶりをしようとも、女が本気で欲情することはない。僕は休憩時間、彼に「それじゃあダメだよ。監督じゃないんだから。それを言うのは隊長だけでいいんだから」と注意した。

 メインの女の子3人の面接が終わり、審査員の何人かがセックスを始めたとき、隅っこに座って、他の男優たちがやるのを見ていた二村に、僕は言った。「おい、そこで休んでる場合じゃないぞ! 隊長! 手抜きやってる、新人が」。僕の言わんとすることをすぐに理解した市原が、一徹と一戦を終えた審査員の澤見れみに、二村を差し向けた。

 この澤見のテクニックが凄いことは前回書いたが、二村は自分の引き出しを使う機会もなく、あれよあれよと言う間に主導権を握られ、しかし今度は中折れすることなく、何がなんだかわからないうちにイカされてしまう。

 このときの二村には余裕というものがない。まったく無防備で、素(す)が出てしまっている。ところが、このカッコをつけない彼のひたむきさに、女の子たちは反応したのである。

 いいところで女の子を他の男優に奪われ、せめて一矢(いっし)報いようとチャンスを作りながらも中折れした彼。一生懸命やっているのに、うまくいかないその姿を、女の子たちはずっと見ていた。

 ということはである、女にモテようとしたら、男の世界でいう成果・結果を出せばいいというものではなく、そこへ至るひたむきさこそが評価されるという現実を忘れないほうがいい。

 だからといって、負け組がモテるという意味ではない。もしも途中で二村が落ち込み、拗(す)ねていたら、だれも応援することはなかっただろう。実際、彼は拗ねなかった。たとえ失敗しても、そこでヘコんでしまうのではなく、前向きになんとかしようとしていたのだ。もともと監督という肩書きを捨ててでも何かをつかみたいという思いが、彼を最後まで曲げさせなかったのかもしれない。

 もっとも、その思いが前半ではことごとく裏目に出た。カッコつけようとしたからカッコ悪い結果になり、その意識すらなくなったときにカッコよく映る。逆なのだ。しかし、僕たち男はついつい自分で墓穴を掘ってしまう。

 ここで1つ問題がある。それは、二村が女の子にモテようとしてひたむきに行動したわけではないという点だ。そこには、ひたむきになろうという意識すらなかったに違いない。ところが、この文章を読んで「そうか、ひたむきさか」と思った時点で、それは無意識ではなく意識になってしまう。

 つまり、無意識のうちに自分の素を出そうと思っても、なかなか出せるものではないのだ。では、どうすればいいのだろう?

 僕は、最初がポイントだろうと思う。相手は好きな子である。ときめかないはずがない。結果などを計算しないで、とりあえず自分の思いをそのまま態度や行動に移してみる。一回、素を出してしまえば、あとはその自然体が自分のものになってくるはずだ。

 そして最も大切なのは、それがたとえうまくいかなくとも、決して拗ねないことである。

取り残され、中折れし、置き去りにされようとも……

(2009年9月4日掲載)


 ネガティブになって“内向きの政治”をしている人を好きになるのは不可能だ。その人は今ここにいないのだから……。一方、思考が落ち、今この瞬間と向き合っている人は魅力的である。知性は分析し判断したがるけれど、感性はすべてとつながる可能性に満ちている。
2016年12月16日