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アテナ映像

週刊代々木忠

アーカイブス010 無縁社会
  先月、NHKスペシャルの「無縁社会~新たな“つながり”を求めて」という番組を見た。現代人の“つながり感”の稀薄さについては、このブログでもくり返し書いてきたので、気になったのだ。

 「無縁社会」というのは「地縁、血縁、社縁といった、人とのつながりが薄れた社会」という意味の造語である。昨年よりNHKはこの「無縁社会」を、NHKスペシャル以外にもいろいろな番組で取り上げてきたので、きっと見た方もいるだろう。

 僕が見た番組では、NHKの留守番電話に残された1万4000人の声のうち、一部が紹介された。

 「私は20代の男です。正直寂しくて自殺のことがよぎる時もある。まわりからいっぱい声をかけてほしい。なんでもいいです。以上です」

 「私は現在38歳で、非正規雇用で働いています。時給で働く毎日、本当に仕事にも未来にもやりがいを感じていません。本当に誰に相談したらいいのか。誰に助けを求めていいのか。本当、私はどうしたらいいのでしょうか?」

 「何度も何度も転職をくり返して、アルバイトだったり、派遣だったり、長く続いてません。相談できる友達がいません。どうか助けてください」

 「私は40代です。仕事に就くことができません。死ぬほどつらいと毎日一分一秒思っています。その声をどこか受けとめてくれる所があると楽になると思う」

 「何度も電車に飛び込もうとした。私って必要とされてないんじゃないかって……。それだったら終わりにするしかないんじゃないかって」

 「一人は寂しい。一人は怖い。何のために生きているんだろう。このまま死んだほうが楽なのかなとか思う」

 こういう声が続くのである。番組の冒頭で〈だれからも支えられていない〉〈必要とされていない〉と書かれたパネルが映し出されたが、これらの声はまさにそれを具現しているようだった。

 留守番電話に残された声には、仕事にまつわるものが少なくない。先々の生活に不安を抱えていれば、いっそう孤独感が色濃くなるのはうなずける。ただ、この問題は最終的にカネでは解決しないとも思うのだ。

 今月73歳を迎える僕のまわりには、年齢的にも無縁社会の予備軍が何人もいる。そのうちの一人は金融業を営み、カネには困っていない。カネがあるから呑みに行けばチヤホヤされるし、女を抱こうと思えば抱ける。でも、本当につながっているのではないことを、本人がわかっているから空しいのである。

 番組の中で救いだったのは、30代のある男性の話だ。彼は死のうと思い、すでに遺書も書いていた。番組側が彼に連絡を取り、会いに行く。そこに待っていたのは、こんなエピソードだった。

 ある日、彼は地域とつながりを持ちたい、その一心で近所の道の掃除を始める。ところが、道ゆく人々はだれも声をかけてくれない。何日か経った頃、小学生が彼に挨拶をする。小学生にしてみたら、「あっ、このおじさん、いつも掃除してる」と映ったのだろう。小学生に深い意図はなく、たったそれだけのことなのだが、しかし、ここで彼は人とつながってゆく。

 次に彼は、子どもたちによろこんでほしいという思いから、カブトムシの幼虫を小学校に寄贈する。贈られた小学生たちは、教室でカブトムシの幼虫を育てはじめる。子どもたちからは感謝の手紙が届く。それによって、彼は「自分も必要とされているんだ」という実感を手にする。死のうとして遺書まで書いた男が、こうして生きる希望を見出してゆくのである。

 絶望の中で一歩踏み出した彼はたしかに立派だが、僕はその一歩が清掃作業というボランティアだったのがさらによかったと思う。ボランティアだからカネが介在しない。無償だからこそ、その人の思いがカネによって精算されないのだ。カブトムシの幼虫の寄贈にしてもそうだ。彼はカネを得るどころか、幼虫を自らの小遣いで買っているのかもしれない。だからこそ、子どもたちによろこんでほしいという思いがそのまま届く。そして、それは感謝という形でまた彼のもとへと返ってくる。僕たちは与えるがゆえに与えられるのである。

 この番組を見て、もうひとつ感じたことがある。それは「縁」の不思議さだ。今回「YOYOCHU」という映画が公開になり、10年以上会っていなかった人たちと再びつながった。もちろん映画のことを知って連絡をくれたり訪ねてきてくれた人がほとんどなのだが、なかには映画のことは知らないまま、偶然というか連鎖反応のようにつながった人もいる。感情の意識階梯が上昇すると、こんなことも起きるんだなと思う。

 3年前まで僕はウツだった。意識階梯が下降すると、祝い事ひとつも行きたくないし、だれとも会いたくない。一人で孤独の淵に沈んでいた。だから、番組の留守番電話に声を残した人たちの気持ちも、僕なりにわかるつもりである。たとえば就職試験で40社も50社も落とされつづけていれば、自分は社会から拒絶されてるんだと思いたくもなるだろう。でも、そんな人たちに言いたいのは「今、自殺したらもったいない」ということだ。

 自分の人生をふり返ってみると、人との関係においては収縮と拡散をくり返してきたように思う。収縮しているときには、自分が狭く小さく固まって、排他的なのにどこかで人に依存したがっている。そんな状態だから、人間関係も上手くいくはずがない。しかし、ずっと収縮したままということはない。何かのちょっとしたキッカケで、それは拡散へと転じてゆく。収縮のとらわれからフッと自由になったとき、それまで予期しなかったことが起きる。

 頭であれこれ考えるのではなく、とりあえず一歩を踏み出してみる。それにはボランティアがいい。自分がだれかから必要とされている――それがいちばんあなたにとって、心の支えになるはずだから。



(2011年3月4日掲載)



 非正規雇用の問題をはじめ、人とのつながりが希薄になっているのは、なにも本人ばかりの責任ではない。けれども、番組を見ているときにも感じたのだが、彼らの多くは他力依存的である。「いっぱい声をかけてほしい」「どうしたらいいのでしょうか?」「どうか助けてください」と。むろん制度として彼らを救うシステムは必要だし、今でもそれがないわけじゃなく、ただ現状に追いついていないということだろう。

 同じような境遇であっても、自ら動き出し、乗り越えている人はいる。自分から乗り越えようという意志がなければ、まわりが手を差し伸べたところで結局、変わらないんじゃないかとも思うのだ。渦中にいる人は「それができれば苦労しない」と言うだろうか。では、誰にでも実行可能で、効果の上がる方法はないものか……。

 僕自身のうつ経験からも、落ち込んで孤独なときこそ“意識的な呼吸”を取り戻すべきだと思う。それは自らが生きるという意思表示であり、他力依存からポジティブへと転じるキッカケになる。まずは腹式呼吸で4秒吸って、6秒吐くところから始める。くり返すうちにだんだん伸ばし、6秒吸って、その倍吐くというように……。各々の時間を延ばすのは、体内に取り込み吐き出す空気の量を増やすためだが、お腹をめいっぱい膨らませて(つまり横隔膜をめいっぱい下げて)もうこれ以上は吸い込めないというところまで行っても、そこで胸郭を広げると、さらに2割か3割入ってくるのが実感できるだろう。この呼吸を最低でも15分(できれば30分)やったあとに、1秒に1回、溜まっているものを吐き切る短息を5分もやれば、必ずやエネルギッシュになり、一歩を踏み出す気力も湧いてくるはずである。
2017年02月10日