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アテナ映像

週刊代々木忠

彼女たちはどこに行っていたのか?
  呼吸法や瞑想については、マインドフルネスやティク・ナット・ハンに絡めて、このブログでも何度か書いてきた。その際、上座部仏教を修行している友人にも話を聞いた。いま彼はスリランカにいる。ティク・ナット・ハンはベトナムの禅僧だ。インドで誕生した仏教が、いつごろ日本に伝わり、どのように発展し、日本人にどんな影響を与えたのか――僕はなにも知らない。そこで日本の仏教にまつわる本を読んでみようと思った。

 別冊サンガジャパン「マインドフルネス」を監修し、ご自身も寄稿している東京大学大学院教授の蓑輪顕量さんの文章がわかりやすかったので、彼の著書を検索したら『日本仏教史』(春秋社)という本を見つけた。ちょうどいいと思い、中をよく見もしないで買ったのはいいものの、こちらは明らかに専門書だった。出てくる仏教用語の数々をその都度調べて、本の余白に書き込みながら、赤子のよちよち歩きのごとく読んだ。

 「なんだ、今回は小難しそうな話だなぁ」と思っている人もいるかもしれない。アダルトビデオの監督である僕が東大の先生の書いた日本仏教史について講釈を垂れようというのではない。この本の中でちょっと面白い発見があったので、それをみなさんと分かち合えたらと思ったのである。とはいえ、そこに至る前提として少しだけ専門領域におつきあいいただきたい。

 『日本仏教史』の第一章に、サマタ瞑想の境地として9つの段階が説かれている。下から〈初禅〉〈第二禅〉〈第三禅〉〈第四禅〉と進んでいく。この最初の4段階を「四色界禅(ししきかいぜん)」と呼ぶのだそうだ。「色」とは捕まえられる対象。そして次なる境地が「四色界禅(しむしきかいぜん)」。つまり、捕まえられる対象がなくなるのである。これにも4段階ある。その4段階と最終的に到達する境地(9つ目)に関する記述を『日本仏教史』から引用してみる。

 (四無色界禅の)最初が、空間が無限に広がっているように感じられる空無辺処(くうむへんじょ)、認識のみが無限に存在しているように感じられる識無辺処(しきむへんじょ)、何もないのだなと感じられる無所有処(むしょうしょ)、そしてつかまえることが難しいくらい微細な働きしか残っていない非想非非想処(ひそうひひそうじょ)が訪れる。そして、最終的には心に何ものも働きが生じない、滅尽定(めつじんじょう)が訪れる。

 ガラッと変わって次は、オーガズムの失神から覚めた女の子たちが、それぞれ異なる撮影現場で言った言葉である。

 「なんか広ーいところに、ひとりポツンと……なんかそういうような情景だった。見えるんですよ、ここじゃないところ」 小田桐まゆ

 「真っ白、なにもなくてー、ただ、なんちゅーたらいいかわからないけど……わからない(笑)」 立花ひかる

 「(失神してたのが)5分だったよとか言われたって……その、意識あるうちの2分5分ってすごくわかるけど、ああいう状態になった2分5分ってのは、ぜんぜん(感覚として)ないの」 水多真理

 「もうホントに善も悪もないというか、そこにはホントになにもかも無の状態のところにいたから」 早坂亜澄

 「広い、白い世界、きれいな世界。べつになにかあるわけじゃないんだけど、うん、いいなーって」 北原奈美子

 どうだろうか。四無色界禅を表わすキーワードは「空間が無限に広がっている感じ」「認識のみが無限に存在している感じ」「何もない感じ」……。対して女の子たちは「広いところ」「ひとりポツンと」「真っ白」「なにもない」「(時間の感覚も)ない」「無の状態」……。

 失神というと、傍からは気を失って意識がないように見えるけれど、そのとき彼女たちは確かにある光景を目にしている、というか、ある場所に存在していたと言えるのではないだろうか。

 失神から覚めた女の子たちが語ったのは、それまでいた場所のことだけではない。彼女たちは過去をふり返り、己の未熟さに気づくことにより相手を許し、自分をも許して解放されていった。その慈愛に満ちた表情は、女の股ぐらで飯を食っているという思いが拭い去れない僕にとって、まぎれもなく救いであり、学びであり、アダルトビデオを続けていくうえでの大きな支えにもなったのである。
2017年09月29日