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アテナ映像

週刊代々木忠

アーカイブス037 恥じ入る心
  自分に自信を持ち、堂々としている人は輝いて見える。そういう人は、一見、押しも強そうである。

 ところが、押しの強さや自分を前へ向かわせる推進力というのは、いわば2つある極の片方であって、問題はむしろ推進力の対極にある、もう一方の極ではないかと思うことがよくある。

 たとえば、就職して営業部に配属されれば、売上の目標が待っている。お客さんに商品なりサービスを買ってもらわなければならないわけで、上司からは「いちいち相手のことを考えていて仕事になるかっ! そんなのはプロじゃないよ」って言われるかもしれない。僕らだったら「女の子をそこまで可哀想だと思って監督ができるか」みたいな。

 でも、これって本当にそうだろうか?

 アメリカはフロンティア・スピリット(開拓者精神)の名のもとに拡大政策を取りつづけてきた。それは西部開拓時代にとどまらず、グローバル化が所詮は世界のアメリカ化であったことを見てもわかるように、彼らはずっと拡大を目指している。要するに、イケイケ大好きなのだ。そして、おかしくなった。

 以前、このブログでアユトン・クレナックの言葉として書いた「直線的な進歩」というのが、まさにこれである。「ノリノリ」の「イケイケ」だけでは、やがてバーストしてしまう。

 では、推進力の対極とは何であろうか? 僕は「恥じ入る心」ではないかと思うのだ。欧米の「罪の文化」に対して、日本は「恥の文化」と言われるが、マンションの耐震構造をはじめ、食料品の賞味期限や原材料表示や産地等々、いろんなものの偽装が、ここ数年で、これでもかと言うくらい噴出した。

 恥じ入る心とは、自分をふり返る力でもある。前に進み、そしてふり返る。この2つは、どちらも必要だからこそ両極なのである。

 むかし、ある和尚が説教のなかで「人の前で堂々とオナラをしろ。一人でオナラをして恥じ入れ」と言った。

 ふつうは逆で、だれもいない所なら堂々と屁もできるが、人前ならば恥ずかしい。ところが、この反対をしろと和尚は言う。つまり、前者は押しの強さや推進力であり、後者は恥じ入る心を言っているように思われる。どちらか片方だけではダメで、そのバランスが大切なのだと。

 人は自分に自信がないと、保守・保身・防衛・防御にエネルギーを使う。そんな状態で「恥じ入れ」と言われても、土台無理な相談である。その意味では、恥じ入ることができるのは、真に自信を持った人だけなのかもしれない。

 余談だが、イケイケの女の子がセックスで悦びを体験すると、恥じらいが出てくる。僕はカメラをのぞきながら、つい「うわっ、いい女だなぁ」と溜め息が漏れる……。



(2009年3月13日掲載)



 撮影現場で僕はブレーキを踏まない。ここで言うところの推進力だ。一方、編集作業では撮った映像を見ながら、思わず恥じ入ることもある。現場の自分の言動に「おまえ何様なんだよ!」と心の中でツッコミながら……。それに、ふり返りは新たな気づきを生むことだってある。

 「ザ・面接」の現場での出来事。面接軍団がだれも手を出さなかった審査員の女の子が、撮影の途中に席を立った。自分の荷物を入れていたスチールの引き出しを開け、私物を取り出すと、腹いせとばかりに引き出しを足で蹴飛ばして部屋を出ていく。僕は別の子がもうちょっとでイクところを撮っていたのだが、スチールがぶつかり合う大きな音が部屋に響いた。「現場、ナメるなっ!」と僕は怒鳴った。間違ったことは、これっぽっちもしていないつもりだった。ところがその映像を編集していたとき、あのとき怒鳴らないで、あの子がどういうふうに帰っていくのか、たとえばエレベーターに乗っていくのを追っかけて彼女の話を聞いてみたほうが絶対に面白かったよなぁと思った。
2018年02月16日