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アテナ映像

週刊代々木忠

愛犬プーの死
  先週の金曜日、仕事から帰宅すると、プーは水を飲むことさえ拒んだ。それまでにもスタンド式の水飲み器で飲ませるときには体を抱えてやらないと、自力では立てなくなっていた。スタンド式をやめて器に水を入れ、顎を持ち上げて飲ませてやる日がここ何日か続いていた。もうそれも要らないとプーは言っているのだ。

 「いよいよダメかもしれないね」。女房とそんな会話をして床に就いた。翌朝5時すぎ、女房の声に起こされた。もう二度と目を覚ますことのないプーをそっと抱き上げ、話しかけた。僕の腕の中で、やせ細った体はまだ温かかった。

 5年半前、「目の見えない愛犬」という題でプーのことをブログに書いた。その前年から糖尿病を患い、当時すでにインスリンを注射していた。インスリンでプーは元気を取り戻したが、両目とも白濁し見えなくなった。しかし、それものちに手術によって回復した。

 これも書いたことだが、うつだった頃、プーにはずいぶん助けてもらった。僕が沈んでいても、こっちの体調などおかまいなしに「遊ぼうよ!」とじゃれついてくる。オスだからとにかく活発で、自分が遊びたいから来ているのだが、かえってそれが僕を和ませた。プーにだけは「つらいよ」「苦しいよ」と僕は弱音を吐いた。

 亡くなる1週間前、プーはまったく立てなくなっていた。1日じゅう寝ているだけの生活。飛んだり跳ねたり、遊びまわるのが好きだった犬が、その場から動けなくなったのだ。僕と女房は、床ずれができないように寝ている姿勢をときどき変えたり、枕代わりに敷いたタオルの位置を動かしたりした。

 「もうインスリンを打つのはやめよう」と女房が言った。「もし自分たちがこうなったら、生きているのはつらいだけじゃない」と。尽きようとしている寿命を薬で引き延ばすのではなく、自然に逝かせてやりたいと僕も思った。

 ペットロスという言葉がある。犬も猫も長年一緒に暮らせば、愛玩用の動物というより家族の一員になる。死なれてしまえば、その喪失感はときに心や体の病まで引き起こすこともあると言われている。

 プーは15年生きた。まぎれもなく家族だった。死んだ日の朝からずっと女房は泣いていたけれど、でも、女房も僕もペットロスで病気になることはないだろう。死の覚悟を持てるだけの時間をプーはくれたし、これでよかったのだという思いを僕たちに残してプーは逝ったのだから。

 深大寺に電話を入れ、プーをバスタオルにくるんで女房と連れていった。深大寺はだるま市や蕎麦で有名だが、中に動物霊園があり、ペットの火葬や納骨もしてくれる。むかし飼っていた柴犬も深大寺で焼いてもらって、ロッカー式の小さなお墓に今も納骨されている。

 年に何度か、僕は線香をあげに深大寺へ行く。女房と一緒に行くこともあるが、季節のいいとき一人で墓参りしたあとは、隣接する植物公園まで足を延ばし、花々を愛で、ベンチで本を読む。穏やかな気持ちで……。

 命あるものとの別れは避けられない。あの世には何も持っていけないのと同様に、生きているものに残されるのは思い出だけである。けれども、その中でいつでもどこにいても時を超えて彼らとは出会えるのである。
2018年10月19日