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アテナ映像

週刊代々木忠

第1回ディスカッションを経て
  以前、このホームページでも告知したように、「裏動画サイト」をテーマにディスカッションを行った。応募いただいた中から男性3名、女性1名の方に参加してもらい、2時間にわたっていろいろな話をうかがった。僕自身は一AV監督として参加した。

 「一AV監督として」と書いたのは、アテナ映像というメーカーのビジネス上のしがらみは一切ないという意味である。裏動画サイトは表ビデオ業界の売上減少に少なからず影響を与えているけれど、今回のディスカッションにおいて、僕は寄って集(たか)って裏動画を批判したいなどとは思っていない。

 時代の趨勢(すうせい)という面から見れば、昔はパッケージしかなかった発表の場が、今はそれに加えてダウンロードや衛星放送など、格段に増えている。その意味では、監督としていい時代になったとさえ思う。

 さて、ディスカッションでは、参加者から「では、なぜ監督はそこまで裏動画サイトにこだわるのか?」と訊かれた。あらためて問われると、自分でもなんでこんなにこだわっているのだろう? 

 別の参加者からは「このままでは人類はまずい方向に進むからではないか」という意見も出た。たしかにそういうことなのだが、それを自分の言葉で言うとどうなるのだろう?

 ディスカッションの場でそれは言葉となって浮き上がってこなかったけれど、それから自分なりにあれこれ思ったのは、次のようなことである。

 今から20年近く前、「童貞と処女がラブホテルに行って顔射した」という話を耳にした。アダルトビデオを見て、セックスとはこういうものだと思う若い人たちが増えていったら、それは僕らの責任である。

 そこで、見た目の派手さは二の次になったとしても、本当のセックスを若い人たちに見せたいと僕は思った。1990年の「中に出して!」という作品は、のちにつきあうことになる加藤鷹と樹まり子のセックスの中で、まり子が思わず鷹に言った、その言葉がタイトルになった。

 自分の若い頃を思い返せば、女の性器や性行為をモザイクなしで見たい気持ちはよくわかる。しかし、ふつうは見られないものが見える--------そこだけを売りものにしていくと、結局、型のみを見せるという落とし穴が待っている。

 たとえば、ちょっと感受性の強い女の子にビデオを見せるとき、「客観的に冷めて見るんじゃなくて、自分がそこに出ている女の子になった気持ちで見てごらん」と言うと、その子は一緒に感じはじめる。でもそれは、もともとビデオの中の子が本当に感じているからであり、実際に感じていないものをいくら見せても、決して感じたりはしないのだ。

 1998年以降、わが国では自殺者が急増している。いろいろな原因がそこにはあるはずだが、"つながり感"の喪失がその一大原因だとも言われている。自分はだれかとつながっている--------そんな実感があれば、死にたいという思いを踏みとどまることもできるだろう。

 ところが、世の中では"つながり感"がどんどん希薄になっているように思える。

 セックスとはお互い社会的な鎧(よろい)を全部脱いで、文字どおり裸で相手を感じ、そしてつながれる行為のはずだが、型だけを見せるビデオには、もともと"つながり感"が映っていない。かつて童貞と処女がラブホで顔射したように、若い人たちがそれをセックスだと思ったら、セックスとはせいぜい快感を得るための手段くらいにしか映らないだろう。

 ディスカッションの参加者のほとんどは、「性器モロ見えはすぐに飽きるし、ぜんぜんエロくない。それよりも性器なんかは見えずとも、表ビデオにもっとエロい作品があるのではないか」という意見だった。

 たしかにモザイクの有無は些細なことであり、その意味ではもう解禁する時期に来ていると思う。ただし、セックスに対する誤解を見る者に与えてしまう、こっちは看過できない問題だと思えてしかたがない。

 では、どうしたらいいのだろうか? 僕は今回のディスカッションに参加したおかげで、自分の中で考えがまとまり、整理がついた。

 それはひと言でいえば、ヒモ付きではない審査機構を確立しなければならないということである。現在、審査団体は6つあり、なかには警察からの天下りがいる団体もある。

 「ヒモ付きではない」とは、たとえば理事会社であるメーカーからの圧力にも屈せず、いっさいのしがらみを排して公正な審査ができるという意味である。それはモザイクの濃淡に限った話ではない。

 ビデ倫の崩壊によって、アダルトビデオ業界は指針となる核を失ったように僕には見える。そしてそのビデ倫も、発足当初の審査員が持っていた哲学を引き継ぎ守っていれば、摘発などはされなかっただろう。だからこそ、業界全体の指針となりうる審査機構の確立が急がれるのだ。

 最後に、ディスカッションを通して、もうひとつ気づかされたことがある。それは監督としての自分がまずは納得のいく作品を撮ること--------であった。

2009年11月13日