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アテナ映像

週刊代々木忠

即非の論理とオーガズム
  いっとき僕自身がオーガズムにこだわり、現場で遮二無二追い求めていた。そんななか「女性たちと語る会」にて、一部の女の子たちからは「なんでオーガズムを体験しなきゃいけないの!? どうして監督はそんなにこだわるわけ?」という疑問を突きつけられた。そのとき僕がなんと答えたかはもう覚えていない。

 現場で起きることを目の当たりにして、オーガズムは絶対体験すべきだよなぁと思っていた。オーガズムを体験すると、今まで否定していた自分を肯定できるようになったり、憎しみに満ちた心が愛に変わったり、いろんなものが逆転していった。それはまさに劇的とも言える変化だった。だからこそ僕は追いかけてきたのだが、当時彼女たちにうまく伝えられたかどうかはわからない。

 さて、今回は「即非(そくひ)の論理」というのを見ていきたい。「即非の論理」とは、鈴木大拙が禅の研究から導き出した言葉で、「金剛般若経」の一節の論理構造でもある。具体的にどういうものかというと、「AがAだというのは、AはAでない、ゆえにAはAである」となる。

 言わんとすることがおわかりだろうか? 「即非の論理」は「AはAじゃないからこそAなんだ」と言っている。「ん? 結局、Aじゃないのか? それともやっぱりAなのか?」と考えてしまうに違いない。「A≠A」と「A=A」は当然ながら反対のことであり、現実的には成り立たない。つまり矛盾する。しかし「即非の論理」では成り立つと大拙は言っている。

 「女が淫らになるテープ5」に出演した杏子(22歳)は、結婚を間近に控えていた。「アダルトビデオなんかに出たら、一生結婚できないんじゃないかとも思ったんですけど……」と語り出す。なのになぜ出たのか? 彼女はこれまでセックスで一度もイッたことがなかった。友達はイッた経験を話すけれど、そんなの演技じゃないのかと疑ってもいた。しかし、本当はイッてみたい。「ビデオに出ればイケるかも……」という思いが、きっと彼女の中にあったのだろう。

 杏子には最初に催淫テープを聴かせた。彼女はトランスに入って、ニュートラルなところに行く。そこでは思考が働かない。オーガズムを体験するには、ここが一番重要なポイントになるのである。そういう状態にしておいて、性衝動を促す暗示を入れていった。その後、彼女は日比やんとセックスして、生まれて初めてイクのだが、それとカットバックしながら、彼女がイケなかった原因がタネ明かしされてゆく……。

 杏子が中学1年のとき、母親は男をつくって家を出ていった。「子どもと男の人を天秤にかけたとき、男の人のほうが重いんだよ」と母は言った。「お父さんとはお見合い結婚で、あんまり好きじゃなくて結婚したんだよ」とも。ならば、生まれてきた子どもも可愛くないのかなと思った。もしも子どもに愛情があれば、中学に上がったばかりの私を残したまま家を出るのは思いとどまっただろうと。娘から見ても、そのときの母は「女」だったという。

 母への許せない思い。同時にそれは「女」の部分への嫌悪につながっていく。しかし、もしかしたら自分も母と同じことをしてしまうんじゃないかという恐れが拭い去れない。セックスで気持ちよくなって、乱れ、ヨガり、イクことは、彼女にとっては軽蔑すべき母の姿なのだ。

 前述のとおり、杏子は現場で初めてオーガズムを体験する。では、憎んでいたお母さんを許せたのだろうか? セックスで淫らになる自分を許せたのだろうか? そうではないように僕には見えるのである。日比やんとセックスしていたときの杏子は、憎も愛も超えて、ただ行為そのものになっていた。そしてオーガズムを迎えた。思考が介在しないオーガズムの世界では、善も悪も、正も邪も、美も醜も、いまだ分かれる前の状態。だからすべてがあるけれど、二項対立にはなっていない。「AはAでない、ゆえにAはAである」とは、そんな境地を指し示しているのではないだろうか。

 「なんでオーガズムを体験しなきゃいけないの!?」と女の子たちから突きつけられたとき、ものごとを「二元的に理解しようとする分別」を超えた智慧「無分別智」という言葉を僕はまだ持っていなかった。
2019年04月05日