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アテナ映像

週刊代々木忠

アーカイブス068 殴り込んできた女たち
  今から17年くらい前の話である。5~6人の女性がアテナ映像に殴り込んできたことがあった。上野千鶴子さんを筆頭とするフェミニスト集団である。

 当時、僕は「ザ・面接」シリーズを撮り始めていた。ご覧になった方ならおわかりだと思うが、初期の「ザ・面接」は、面接にやってきた女性を男優たちが問答無用で犯すというスタイルである。しかも、今のような部外者立ち入り禁止の部屋ではなく、真っ昼間、アテナの社員がふつうに仕事をしているオフィスの真っ只中で。

 フェミニストの女性たちは「レイプシーンは人権侵害」という主旨の抗議で押し掛けてきたのだ。同じ頃、バクシーシ山下監督の「女犯」も標的にされた。山下監督は真正面からやり合ったと聞いている。

 で、僕はといえば、それまでAV雑誌のビデオ評などでさんざん叩かれていたから、バッシングには慣れている。だから、彼女たちの言い分もとりあえず全部聞いてみることにした。こう言うと怒られるかもしれないが、実際に話を聞いてみて、僕は彼女たちのことを「純粋で可愛いなぁ」と思った。

 しかし、誰しも人にわからなければ何でもするという面もあり、決して清く正しくばかりは生きられないのが人間だ。残念ながら、彼女たちの主張からはそこがまったく感じられなかった。ただただ正しいのである。僕からすれば、それは真理の片極にすぎないように思えた。

 話を聞き終えた僕は、やり玉にあげられた「ザ・面接」について彼女たちにこんな話をした。

 「ザ・面接」に限らず僕の作品は、コンセプトありきでそこを演じてもらうわけじゃないから、出演する女性と事前に会って、いろいろな話を聞く。その女性が今、何を考えているのか、本当は何を求めているのか。そんな中に作品のテーマが潜んでいることが多い。彼女たちの心の奥深くに入っていくと、家族や周囲に対してずっと優等生を演じてきた子でも、実はもう限界に来ていることが見えてくる。そんな子には一種の破壊願望みたいなものがあって、それまでまわりに合わせてきた偽りの自分を、どこかで打ち破りたいと思っている。ところが、自分ひとりの力ではなかなか打ち破れないと彼女たちは言うのである。彼女たちの破壊願望は、性の面ではレイプ願望として立ちあがってくる。もちろん実生活でレイプの被害に遭うことを望んではいないが、イメージや妄想の中には、確かにそれが存在しているのだ。そんな彼女たちに僕は「じゃあ、こうしましょう」と提案する。「○月○日に撮影を設定します。この日はどこで何が起きるか、わかんないよ。男優さんたちがいきなりあなたを犯すかもしれない。でも、レイプっていうのは、レイプされる人が主導権を握るんだからね。あなたが抵抗してくれないと、レイプにならないでしょう。あなたが激しく抵抗すれば激しいレイプになるし、控えめに抵抗すれば控えめなレイプになる。だから抵抗することにあなたも酔えばいい。しんから恐怖心を出せばいい。演技だけでやっちゃうと、あなたの望んでいるような自己破壊はきっと起こらないから……」。

 とまぁ、こんな話をフェミニストの女性たちを前にしたのだった。「ザ・面接」を見て抗議に来たのなら、作品の最後でレイプされた当の女性たちがどんな表情をしていたかも見たはずである。ならば、僕の話が単なる言い逃れでないことくらいは伝わったのではないかと思う。いや、それにもまして、女にはそういう部分があるということを彼女たちは否定できなかったのではないかと。

 やってきた女性たちの中でひときわ活動的だった藤本由香里さん・宮淑子さんの態度が軟化した。それは言うなれば「絶対許せない」から「もう少し聞いてみよう」という変化だった。こうして女性たちと僕との「語る会」が月2回のペースで催されることに決まってゆく。最初の頃の「語る会」は、事の発端ともなった「ザ・面接」を、まずみんなで見て、そこで感じた疑問をぶつけてもらい、そのひとつひとつに僕が答えていくという形をとった。そしてだんだん慣れてくるにつれて、毎回新たなテーマを設定し、忌憚のない意見を出し合う場となっていった。

 女性たちにとっては、そんな集いが新鮮だったのか、出席した人が自分の友達を誘うことになり、登録者の総数は最大130人近くまで膨れ上がった。「語る会」では、帰りがけに僕の作品の中から好きなものを持って帰って見てもらうことにした。最初にクレームをつけてきたフェミニストをはじめ女性たちにいちばん人気があったのは「ザ・面接」シリーズである。なぜ人気が集まるのかを「語る会」のテーマにのせたこともある。すると、「正直なところ『ザ・面接』がいちばん子宮に来るのよねえ」と彼女たちは口をそろえて言うのだった。

(つづく)

(2011年8月26日掲載)


 「正義」の反意語は「不義」である。不義を否定するだけの正義は、じつは危ないと僕は思っている。「いやいや、ふつう不義は否定するでしょ」と言う人もいるかもしれない。「だって、不義を肯定したら結局なんでもアリになって、世の中メチャメチャじゃん」と。

 でも、そうだろうか。たとえば今回の話でいえば、殴り込んできたフェミニスト集団の中に、とても懐の深い人が何人かいた。その人たちが不義(この話でいえば僕のこと)の話を聞き、それを否定するんじゃなくて、そこから何かを学ぼうとしたのだった。それが「語る会」を生み、お互いに多くのことを学び合えた。否定するだけでは、なにも生まれなかったはずである。
2019年06月21日