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週刊代々木忠

出産とオーガズム
  6月に孫がもう一人生まれる予定である。僕が子どものころ、出産はお産婆さんがやってきて、自分の家で行なわれた。弟や妹が生まれるとき、大人たちが湯を沸かしたり、盥(たらい)を用意している記憶が、今も断片的に残っている。女房にその話をしたら、女房も似たような場面を覚えていた。出産は家でするもの――そういう時代だったのである。

 僕らの世代は、先輩たちからこんな話を聞いたものだ。「お産をすると女は変わる。イケない女がイケるようになるし、お産の最中にイクことだってあるんだよ」。こういうことを男の僕が書くと「女性蔑視だ、差別だ!」と炎上するのかもしれない。

 今は「産まない自由」というものがある。子どもが欲しくてもできない人もいるだろう。僕は、なにも子どもを産んだ人だけが女の悦びを享受できると言っているのではない。

 けれども、出産とセックスのオーガズムには確かに共通項があるとも思っているのだ。いや、「あった」と言ったほうがいいかもしれない。

 津田塾大学教授である三砂ちづるさんの本に『オニババ化する女たち 女性の身体性を取り戻す』(光文社新書)というのがある。その中の一節を紹介しよう。

 〈助産院での産婦さんたちの手記を読むと、あふれるように文章が出てきているのです。そして書いてあることにいくつかの共通点があります。
 「宇宙との一体感を感じた」「自分の境界がないようだった」「大きな力が働いていてそれに動かされているようにゆだねていた」……など、いわゆる心理学でいう「至高体験」に近いような経験をしています。絶対的な幸福感、自分の肯定感を経験していて、「痛いけれども満たされた」思いがつづられています。そういう経験をすることによって、お産をした女性は明らかにそこで変革をしていることがわかります〉

 どうだろう。僕のブログを読んでくれている人ならば、どこかで聞いたような言葉ではないだろうか。なぜ出産とオーガズムには共通項があるのだろう?

 ひと言でいってしまえば、H12の世界を創り出しているから、となる。ここでは、出産に対する恐怖や不安がない。出産への信頼、ひいては自己への信頼が起きているのだ。ただ、信頼が生まれるためには、出産の本質が親から子へ、子から孫へと代々伝えられてきたはずである。

 ところが出産は、時代とともに病院で産むものに変わってゆく。つまり医療行為になっていったのだ。1983年、僕は「ザ・ドキュメント 出産」という作品を撮った。出演する女性に破水があったというので、僕はスタッフを招集し、あらかじめ撮影の承諾を得ている上野の産院に向かった。しかし、医師は「すぐには生まれないですよ」と言う。そして長時間待っていられる部屋を僕たちのために用意してくれた。その産院は、赤ん坊が主体的に生まれてくるまで、待ってくれるところだったのだ。

 だが、今はそういう病院ばかりではないと聞く。病院の都合に合わせて陣痛促進剤が使われることもあると。本来自然に属している人間が、もう出産の段階から人為的にコントロールされ誕生してきている。そのほかにも、無痛分娩で亡くなったり重い障害が残ったりする事故がニュースになっている。

 もちろん家で出産していたころも事故はあっただろう。しかし、病院で産むようになってからのほうが、出産に対する不安がいっそう膨らんでいるように思えるのは僕だけだろうか。

 前出の本『オニババ化する女たち』の中に「お産の達人だった日本人」という見出しの項がある。山梨県のある地区の話だが、昔は医者はもちろん産婆もいない状況の中、自分たちだけで産んでいたというのだ。そこには不安もなく、事故もめったになかったと。それはきっとこの地区だけに限った話ではないのだろう。

 著者の三砂さんは海外で出産しているが、ロンドンで診察してくれた産科医から「日本人は小柄でも骨盤がよく発達している人が多いので、西洋人よりお産は楽な人が多いよ」と言われたという。

 この話を読んだとき、僕はかつて日本人は「オーガズムの達人」でもあったんだなぁと思った。今は「産まない自由」がある。「結婚しない自由」もある。でも、女性たちはそれで本当に幸せになったと言えるのだろうか。
2020年03月27日