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アテナ映像

週刊代々木忠

クロントイ
  いよいよ8月だ。去年までなら「海だ!」「山だ!」「海外だ!」と心浮き立つ季節だが、今年はそんな気分じゃない人も多いだろう。今回は40年前、ドキュメンタリー番組のロケで行ったタイの話である。

 首都バンコクに、その街はある。クロントイという。庶民の台所として有名な市場もあるが、僕が行ったのはバンコク最大のスラムのほうだった。あばら屋が密集した狭い路地を歩いていると、ジャスミンの強烈な甘い匂いが漂ってくる。スラムにジャスミン。ちょっとミスマッチな感じである。

 さらに路地を進んでいくと、スコールが来た。途端にスラム全体が動き出す。各々の家の前や横に立てかけてあったトタン板をみんないっせいに動かし、それらがぶつかり合う音がスラムに響き渡る。甕(かめ)に雨水を引くのだ。

 もともと住んではいけない所にどんどん小屋を建てているわけで、当時は水道も電気も来ていなかった。だから雨は文字どおり天の恵みで、置いた甕に屋根から流れ落ちる雨水が効率よく溜まるようにトタン板を配置する。

 甕はいくつもあって、古い甕にはボウフラが湧いている。カンカン叩くと、驚いたボウフラは水中に沈む。沈んだ瞬間、上のほうをすくって彼らは飲む。これが飲料水なのだ。「ボウフラが生きている水だから大丈夫!」と彼らは笑う。そりゃないだろうと内心思ったが、彼らと過ごすうちにいつしか人間同士のふれあいも生まれていった。

 スラムでは子どもたちも働いている。信号でクルマが止まると、彼らは道路に飛び出していき、窓を拭く。頼んでもいないのに。信号が青になる前に拭き終わり、運転手に「10バーツ」と言って手を突き出す。お金を渡す人もいれば、渡さない人もいる。

 一歩足を踏み入れたときに感じた甘い香りは、ジャスミンのつぼみを連なるように糸に通した首飾りだった。それをスラムの中で作り、子どもたちが信号で止まったクルマ相手に売る。窓拭きはおもに男の子、ジャスミン売りは女の子だ。

 彼らの生活は当然ながら貧しい。学校にも行っていない。でも、その顔は不思議と充実して見えた。僕は子どもの頃すごした日本の戦中戦後と同じ空気を感じていた。

 余談だが、子どもたちの窓拭きやジャスミン売りを撮影する際、僕らも道路のド真ん中にいなければいい画が撮れない。しかし、見える場所にはおまわりが立っている。スラム撮影の話をつけてきた現地のコーディネーターが、警官を見て「あれに握らせれば」と耳打ちする。

 僕は500バーツを警官にそっと差し出した。当時のレートは今よりずいぶん高く、日本円にして5000円くらいだ。彼はサッとポケットに紙幣をねじ込み、何食わぬ顔で道路に歩み出る。何をするのかと思っていると、率先して交通整理を始め、クルマを止めてくれる。僕らが撮影しやすいように。

 スラムが非合法地帯ならば、警察も金次第。けっして褒められた話じゃないが、生きるのに手いっぱいゆえ、したたかで逞しいその空気感は、やはりかつての日本にどこか似ていて、僕はとても居心地がよかった。

 貧しさを礼讃しようとは思わないけれど、いつしか僕らは余分なもの、本当は必要なかったものまで、求めてはこなかっただろうか。これから日本は自粛から自衛に入っていくのだろう。人は何を守り、何をあきらめていけばいいのだろう。いちばん身近にある些細な幸せ。本当はそれがあれば、あとはどうでもいいのかもしれない。



(「週刊代々木忠」は夏休みをいただきます。次に読んでいただけるのは9月4日(金)になります)
2020年07月31日