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アテナ映像

週刊代々木忠

 
 それまで住み慣れた故郷の小倉をあとにするとき、僕はつきあっている女の子たちに「東京に行く」と告げた。すると3人が「私も行く」と言う。まいったなぁと思いつつ、まぁいいか......で上京した。僕が20代最後の年の話である。

 僕についてきた女の子たちは3人とも踊り子だった。キャバレーでのショーやストリップが全盛の時代だったから、仕事には困らない。知り合いのコメディアンの奥さんが、キャバレーやクラブへの女の子の派遣業をしていたので、仕事を世話してもらった。僕はといえば、ヒモである。彼女たちにトラブルでもあれば出ていくが、ふだんは仕事がなく、彼女たちに食わせてもらっていた。

 コメディアンの家には、大勢の踊り子たちが「きょうの仕事」をもらいに来る。それを目当てにコメディアンたちも集まってきていた。僕は3人の女の子が仕事から帰ってくるまで、コメディアンたちとマージャンをしながら時間をつぶした。帰ってくれば、4人して寝ぐらのアパートに帰るという生活を続けていたのである。

 コメディアンの家の2階はピンク映画のロケセットにも使われていたから、僕らがマージャンをしていると、女優たちの嬌声も降ってくる。ピンク映画のロケを横目で見ているうちに、僕はだんだんその世界に興味を抱いていった。ロケに来ていた映画会社の人間とも知り合い、仕事を手伝うようになり、助監督みたいなことをやりはじめた。

 かつてしていた興行の経験を素材にしてピンク映画の台本を書いてみた。ためしにプロデューサーに見せたら、「これ、やろう」という話になった。僕も助監督として付いたその映画に、ヒロインでやってきたのが真湖道代である。当時、谷ナオミと人気を二分するくらいの若手の売れっ子だった。

 そのころピンク映画をかけている劇場では、映画に出演している女優たちの実演、つまり芝居も幕間に行われていた。僕は助監督をやりつつ、実演のほうでは監督を任された。こちらはすべて自分で台本を書いて演出をする。そこで真湖道代と再会した。最低でも2週間は公演があり、その間は毎日一緒にいる。いつしか僕は、彼女に惚れてしまっていた。

 小倉から一緒に上京した3人とは、そのときも一緒に暮らしていた。さて、どうしようか......。いきなりアパートを出ていくこともできたが、やはり正直に話すことにした。すると、彼女たちは「どんな女か、会わせろ」と言う。真湖に告げると「いいわよ」だった。こうして女たちの話し合いは行われ、3人は納得してくれたみたいだった。

 僕は彼女たちと別れ、明大前に2Kの安アパートを借り、一人暮らしを始める。そのころ真湖はといえば、池尻大橋にある豪華なマンションに住んでいた。助監督といっても雑役係のような僕と、売れっ子女優の違いである。でも、彼女は実兄の同居を理由に、僕のアパートに頻繁に来るようになり、そのまま一緒に暮らしはじめた。

 僕たちは結婚し、日活の下請けの仕事も入ったことから、代々木に会社を作り、そのマンションに引っ越した(僕の名前はここに由来する)。ところが、新たな生活を始めて束の間、わずか何カ月かして摘発を受ける。それが日活ロマンポルノ裁判である。日活作品3本と下請けの僕が制作した1本、これらが起訴された。そして9年にも及ぶ裁判になるのだった。

 長期化するにつれ、弁護士費用をはじめ裁判にかかるおカネは膨大で、僕の収入だけではとてもまかなえない。女房はそのときすでに妊娠していたのだが、生活費と裁判費用を稼ぐために妊娠5カ月まで映画に出演し、出産までの1年のうち270日間は舞台に立っていた。そして、倒れた。子どもは生まれるには生まれたが、生後4日目に亡くなった。

 女房をここまで働かせていなかったら、この子も死なずに済んだのかと思うと、僕はいたたまれなかった。2人目が無事に生まれたとき、「専業主婦をしてくれ」と頼んだ。彼女が根っから芝居好きなことは知っていたけれど、それでも僕は強引に説き伏せた。「カネは俺が稼ぐから」と。

 彼女は立派に二人の娘を育ててくれたと思う。彼女には申し訳なかったと思うものの、やはりこれでよかったのではないかと。女房はつきっきりで子どもをたくましく育てた。だから娘たちも、母親には絶対である。理屈ではなく、生きざまを見せているのだから......。

 女房は完全に感情オクターヴ系の人間である。だからこそ、役者にも向いていたのだろう。感情むき出しで来る。バーッと来るが、吐き出したあとはケロッとして、あとを引かない。この切り替えは、いつも凄いなぁと思う。もっとも、疲れて帰ったときにこれをやられると、正直、面倒くさいなぁと思わないでもないが、こっちが落ち込んでいるときには、そのエネルギーによって引き上げられたりもするわけだから、まぁあまり文句も言えない。

 ずいぶん前の話だが、あるとき、僕はリコという女の子とつきあっていた。もちろん女房には内緒で。海外ロケを終え、久しぶりに帰ったわが家で、女房の手料理を食べていたときのことだ。味噌汁を一口すすった瞬間、「リコって、かわいい子じゃない」と女房。思わず僕は、味噌汁を噴き出しそうになった。

 聞けば、僕が海外に行って留守をしていた間に、リコを家に呼んだのだそうだ。「『つきあうのはいいけど、12時までに帰して』と言ってあるから。そうしたら彼女も『そうします』と言ったからね」と。僕にはまったく反論の余地がない。ついでに言えば、メシもどこに入ったのかわからない。結局、リコとはすぐに別れてしまった。

 家にいろ。子どもは見ろ。それで自分は女を作っていたわけだから、自分で言うのもなんだが、僕は本当にいいかげんである。きっと他の女なら、とうに愛想をつかして出て行ってしまったことだろう。彼女だからこそ、41年間も一緒にやってこられたのだと思う。

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映画「(秘)夜這い後家ころがし」の真湖道代

2010年01月15日