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アテナ映像

週刊代々木忠

甘えられない男たち
 先月、代々木作品の上映会があって、会場の様子を撮った映像を森くんが送ってくれた。その中にこんなやりとりがある。

 森林「銀次さんが上映会にリアル参加するのは初めてですよね。どうですか? これだけの男性・女性がAVを見て学ぼうとしてくれている」
 銀次「男の人がけっこういるのがうれしいよね」
 森林「もっといないと思った?」
 銀次「女の人ばっかりなのかなって思ってた」
 森林「片っぽだけではダメなんですかね?」
 銀次「うん、お互いだから」
 森林「でも、だいたい女性のほうが多いかな」
 市原「なんでかね?」
 参加女性「男の人は学ぼうとしてくれないですよ」

 1本目の作品「たかがSEX されどSEX」を見終わって、森くんが言う。「どの人が甘えるということができていたのか?」と。ちなみにこの作品には女性4名、男優2名が出演している。「一番はこの男なんですよ。平本さんという男が甘え上手なんですね」。

 平本とは長いつきあいで、多くの作品に出てもらっている。でも、ガンガン女をイカせるわけではない。なのに、なぜ起用されつづけているのか……不思議に思った森くん曰く「代々木さんに一度訊いたことがあります。『平本さんって何が凄いんですか?』って(笑)」。

 森くんによれば、そのとき僕はこう答えたそうである。「母性をくすぐるんだよ」と。それを聞いた上映会の参加者からは「あ~」という声があがった。この上映会のテーマは「“甘える”ってどうすればいいの?」だ。セックスで甘えられない女性もいるけれど、むしろ男性に伝えたいテーマと言える。

 「真諦」「俗諦」という言葉がある。「しんたい」「ぞくたい」と読む。「諦」とは真理とか真実という意味で、「真諦」は絶対的な真理、「俗諦」は相対的な真理だ。ティク・ナット・ハンは著書『ティク・ナット・ハンの般若心経』(馬籠久美子訳、野草社刊)の中でこう語っている。

 〈生まれることと死ぬこと、存在することと存在しないこと、上と下、来ることと去ること、同じことと異なること(中略)これらはどれも現象の次元における便宜的な真理だと言えるでしょう〉

 これが「俗諦」についての説明の一部である。つまり、僕らがふだん生活している現実の中で、それが当たり前だと思っていること、端(はな)から疑ってはいないことが、じつは「俗諦」なのではないだろうか。

 では「真諦」でとらえると、どうなるのだろう? ティク・ナット・ハンは〈何も生まれず、何も死なない〉と言う。命あるものは生まれてきて、やがて死んでいくというのに、なぜ何も生まれず、何も死なないのか? 〈紙〉と〈雲〉を例にとって、彼はこう説明する。

 〈紙が生まれたのは、木材パルプを平たく伸ばして一枚の紙にした瞬間でしょうか? いいえ、それは正しいとは言えません。紙はそれ以前にも、木材パルプ、一本の木、一枚の葉、太陽、雲など、さまざまな形として存在していたのです〉

 〈雲として空に浮かぶ前は、無ではありませんでした。雲は、大海の水でした。太陽が放った熱でした。空に昇っていく水蒸気でした。空に消えていって目に見えなくなっても、死んではいないのです。雨や雪に形を変えただけです〉

 〈あの一枚の紙はどうなるでしょうか? 死ぬことはできるでしょうか? あの紙を破壊したいならマッチさえあればいい、火をつければ燃え上がって無に帰すだろう、と私たちは考えます。しかし真実はそうではありません。一枚の紙を燃やせば、紙としては存在できなくなりますが(中略)きっと灰や煙や熱となって、私たちの体や宇宙に溶け込むでしょう〉

 つまり紙も雲も、単独で存在しているわけではなく、別のいろいろなものが形を変えた結果であり、それは今後また違うものへ形を変えていくということなのだ。

 話を元に戻そう。では、セックスはどうなのか? 射精が男のオーガズムだという考えは「真諦」だろうか? 「俗諦」だろうか? 物理的な刺激による快感がセックスの絶対的な真理なのだろうか?

 紙や雲が単独で存在しないように、僕らも自分一人で生まれ、自分一人で生きているのではない。そんなの当たり前だと思っていても、個にとらわれればいつしかそれを忘れてしまう。自分は自分、他人(ひと)は他人と。

 もともとつながっているものだからこそ、僕らはだれかと心が打ち解けたとき、あるいは同じ体験をして悦びや悲しみを分かち合えたときに幸せを感じるのではないだろうか。それは自分一人だけが味わう幸福感を必ず凌ぐと僕は思っている。

 ならば、なぜセックスで相手との一体感を味わわないのだろう。自他の境界が消えて溶け合う至福を体験してみないのだろう。テクニックにとらわれることなく、男が女のように甘えてみれば、受け身になって恥も外聞もなくヨガッてみれば、それが手に入るというのに。




2020年11月16日