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アテナ映像

週刊代々木忠

50年来の友へ
 2年前のことである。久しぶりに会いたいと思い、彼のケータイに電話を入れた。何回か鳴ったあと聞こえてきたのは、知らない女性の声だった。

 今から半世紀以上前、僕がワールド映画の助監督をしていた頃、彼は撮影助手として現場に来ていた。それが初めての出会いだ。まだ日大芸術学部の学生で、僕より6つ下だった。

 その後、僕が監督として約10年間、日活の下請けをやるようになっても、カメラは彼こと――久我剛に頼んだ。そのなかの1つに「スケバン」シリーズがある。当時、東映では池玲子主演で「女番長(すけばん)」シリーズを撮っていた。同じスケバンものが隣り合う映画館で同時にかかったことがある。打ち込み(初日の開館時に入った観客数)は日活のほうが百数十人、東映は数人。

 なぜ日活のほうにそれほど人が入ったかといえば、久我のカメラワークが大きかったと思う。たとえば新宿の通りをスケバンたちが12~13人で歩いてくる。物語の出だしでもあり、状況説明のフレーミングをふつうのカメラマンなら選ぶ。全員を画角に収め、その周辺に街の空間も入れる。

 ところが、彼のカメラには8人くらいしか入っていない。手持ちなのでカメラが揺れたときに外側の4~5人も多少入ってきたりはするものの、状況説明としての街並みはいっさい映っていない。しかし、その生々しい迫力たるや見る者を圧倒せずにはおかないのだ。

 乱闘シーンでは500ミリの望遠レンズをスケバンたちに寄ったまま手に持って追いかけた。当然ながら画は揺れている。ほかのカメラマンだったら、怖くてこんな撮り方はできなかっただろう。ビデオならその場でチェックし、いざとなればリテイク(撮り直し)もできるけれど、フィルムは現像所から上がってくるまで見られないのだから……。その時点で「これじゃあ使えない」となったら、それこそ一大事である。だから安全な画をカメラマンは押さえておこうとするのだ。

 映画からビデオに移ってからも、僕自身がカメラを持ちはじめる「素人発情地帯」シリーズまでのほとんどの作品は久我が撮っている。ビデオになっても、説明しているだけのような画を彼は撮らなかった。僕の作品は出演してる女の子の内面を探ろうするものが多い。台本もないので何が起こるのか、僕らにもわからないが、彼は被写体の心の動きを決して見逃さなかった。

 一例をあげれば、だいたい平行目線で、ローアングルが多い。意図的に必要な場合を除き、上から見下ろすアングルではなく、女の子と同じ目線でいようとしている。そして彼女の内面がひとたび表われたなら、そのチャンスを逃すことなくクローズアップになる。

 内面はいつも顔に出るとは限らない。たとえば顔は平静を装いつつ、無意識のうちに手の動きに動揺が出ていたとしたら、ズーミングして手のアップをきっちり撮っているのである。人間を撮るとはこういうことなのかと僕は彼から教えられた。

 ビデオの初期の頃はシリーズをまとめて何本も撮り、作品が仕上がれば彼と一緒に何週間もヤップやサイパンに遊びに行っていた。仕事仲間で遊び仲間だったのだ。

 そして今から2年前、彼のケータイに出た女性に僕は自分の名を言った。彼女も名乗る。彼の娘さんだった。嫌な予感がした。娘さんから彼が亡くなったことを知らされた。僕が電話したのは葬儀の翌日か翌々日だったと思う。「亡くなる前、父は『自分が死んだことは誰にも言わないでほしい。ただ、この3人にだけは一段落してから伝えてくれ』と言ったんです。そのおひとりが代々木監督でした」と。腎臓のガンだったと言う。仲間内で集まるとき、ある時期から彼は欠かさず来るようになった。何も言わなかったけれど、ひょっとしたらその頃から自分の死期を知っていたのかもしれない。

 それから毎日、彼のことを僕は思い出していた。これからは彼のいない世界で生きていくのか……とさえ思った。50年前、映画の理論をまったく知らない僕は無茶な指示を出していた。そのままでは前のカットが次のカットにつながらないのだ。そんなとき、いつも彼は前後がつながるようなインサート(途中に差し挟むカット)を撮ってくれていた。ラッシュでそれを見て、僕は初めて気づく。「つながらないから撮っといたよ」と彼は一度も言わなかった。僕も「ありがとう」とは言わなかった。

 だから、何も言わずに逝ったことも、僕は彼らしいと思っている。僕らは言葉なんかなくたって、わかり合えてたじゃないか。思い出だって、もう一生分くらい作ってきたじゃないか。だけどこの寂しさを、いったいどうしてくれるんだよ……。カタギになって、初めてできた信じられる友だった。



愛染の「華麗なる追憶」ロケ地のパリで久我と。



同じくロケ地モナコのヨットハーバーにて。
2020年12月04日