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アテナ映像

週刊代々木忠

続・人生最大の失敗
  前回からの続きである。数億円の借金を背負った僕は、もう返せないと思った。しかし、銀行への返済が滞れば、担保として入れた自分の家もなくなってしまう。これまで貧困を経験してきたから、僕一人ならどんなことにも耐えられそうだが、女房や娘たちに罪はない。

 ちょうどその頃、上の娘が大学に入学することになった。入学金と1年分の授業料を前払いしなければならない。その百数十万円を工面するのにも、僕は四苦八苦していた。

 自分がいま人生の谷底にいると思っていても、まだまだ本当の底ではなく、さらに下へ落ちていくというのはよくある話で、金銭的ダメージを負っていた僕に、さらに追い討ちをかけるような話が飛び込んできた。

 サイパンの計画において、契約の調印を任せていたのは、現地で陣頭指揮をとってもらっていた、僕が以前から信頼している日本人と、今回知り合ったサイパン現地の人間の2人だが、彼らが実は裏で結託していて、カナダからの買い付けの話もウソなら、一括契約に変更して、先に支払った分の土地や建物の権利を僕から奪うことも、計画の上だというのである。

 それを僕に打ち明けてくれた人間には「聞きたくなかったなぁ、それは」とだけ言った。とりあえず僕は、その話を自分の腹に飲み込むことにした。

 僕は本業に専念していこうと決めた。というか、そうするしか手がなかった。それまではサイパンに自分のエネルギーが向かっていたわけで、本体がちょっとお留守になっていたのは否めない。それで、とりあえず社長としての責任を取り、他の人間に代表取締役をやってもらうことにした。

 そして僕自身は監督として、たった一人でお金をなるべくかけないで作品を作ろうと思った。それまで人に頼んでいたカメラも初めて自分で持った。その第一作目が「素人発情地帯」である。

 それ以前に、村西とおる監督とある雑誌で対談したとき、彼が手持ちカメラの面白さを盛んに力説していて、僕もやってみたいなぁと思っていたからちょうどよかった。

 「素人発情地帯」は、のちに男優が登場するものもあるけれど、初期は女の子しか出ていない。つまり、僕と女の子が二人っきりで2泊3日とか3泊4日を過ごす。照明や助監督もいない。

 村西監督と違って僕はハメ撮りをしないので、作品には当然ファックシーンがない。「ザ・オナニー」でもそうだが、さすがにオナニーだけではもう持たないだろう。しかし、僕はとりわけ心配もしていなかった。現場では何かを仕掛けて待つという自分のスタイルができていたから、きっと何かが起こるはずだ。

 僕は目の前にいる女の子の内面をえぐるように追い込んでいった。なかには「私もう出来ません!」と帰ろうとする子もいた。心を閉ざしてしまって、没にした作品もある。でも、ドキュメントを撮っている以上、そんなことは当たり前だと今も僕は思っている。

 なあなあで、だましだましでは、決して魅力ある作品には仕上がらない。女の子も必死、僕も必死。だからこそ、見ている人もハラハラ、ドキドキ、ワクワクしてくれるのだと。まぁ、出たとこ勝負といえば、それまでなのだが。

 監督として全精力を傾けて撮った「素人発情地帯」は、そこそこ受け入れられていった。そのおかげもあり、絶対に返せないと思った借金も、家を取られぬまま返済を終えた。

 だが、サイパンにはさすがに何年も行けなかった。僕にとってはあまりに生々しすぎた。嫌なことを思い出してしまうのも怖かった。やっと自分の中でも心の整理がついて再訪したのは、それから数年後である。

 家族でキャピタルヒル北側のその地を訪ねてみると、韓国資本の立派なホテルになっていた。頂の建物はほとんどそのままである。妻は「本当だったのね」と言った。当時、ひと月のうちの1週間はサイパンで過ごしていたが、それまでも品行のよくない僕が向こうで仕事があると言っても、妻は信じていなかったのである。また、いきさつを知らない娘は「お父さん、なんでこんなところを手放しちゃったのよ!?」と言った。

 だれにも気持ちをぶつけられず、自分の殻に閉じこもるしかなかったのは苦しかったし、なによりガアヤン酋長との約束を果たせなかったのは申し訳ないけれど、当時のサイパンでの時間は、今でも楽しかったなぁと思う。そして「素人発情地帯」で目の前の女の子とガチンコ勝負をしているときには、自分の置かれた状況すらも、僕は完全に忘れていた。

 映画屋というのはだいたい貧乏で、僕も300万で下請けをしていた頃は、ずっとお金に苦労していた。それがビデオを撮るようになって、それまで目にしたことのないお金が入ってきたから、勘違いした部分もある。サイパンの計画において金儲けを第一義にはしていなかったとしても。

 人生最大の失敗というテーマで、前回と今回、書いてみた。結果的に傷は負ったし、計画は失敗に終わったけれど、どうにか生き延びてこられたわけだから、これはこれでよかったのかもしれないと今は思っている。

2010年03月05日