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アテナ映像

週刊代々木忠

若松孝二
 


 今から十数年前、映画監督の若松孝二とミュージシャンの内田裕也、そして僕の3人で語り明かしたことがあった。最初はたしかホテルニューオータニの和室の小部屋で飲んでいたのだが、「ちょっと上品すぎるよな。やっぱり俺たちは新宿だよ」と裕也が言い出し、僕たちはゴールデン街へ河岸(かし)を変えた。

 新宿の安くて狭いお店で、僕たちは焼酎のお湯割りを飲みつづけ、「誰が先に酔いつぶれるか、朝までやろう!」ということになった。「いきましょう!」と裕也がグラスを突き出し、若松と僕は自分のグラスをそれに重ねて、飲み語った。若松が僕より2つ上、裕也が僕より1つ下なので、3人は同世代なのだが、明け方になって最年長の若松が先にダウンした。

 酔いつぶれる前、若松が僕たちにこんな話をしていたのが、今でも心に残っている。「違うよ、イデオロギーなんかじゃねえんだよ。自慢じゃないが、マルクスさえ読んだことがないんだから......」。当時、彼は働いて得た利益を毎年レバノンへ送っていた。はたから見たら、まさに活動家であり運動家である。実際に彼の事務所は何度もガサ入れされていた。「イデオロギーじゃなくて友情なんだよ。なんで戦わなければならないのかが俺にもわかるし、あいつらは嘘のつけない純粋な目をしているんだよ」。そう語る若松の目も純粋でマジだった。

 僕がピンク映画の世界に入ったとき、ピンク映画はすでに下り坂に差し掛かっていた。しかし、そんななかで若松孝二だけは別格だった。権力に対する気骨を持ち、自己の信念にもとづいた、まさしく若松でなければ撮れない作品を撮りつづけていた。ピンク映画に入るまでの経歴が似ていることもあり、僕は彼に注目し、そして尊敬していた。僕にとって若松はずっと越えられない存在なのだ。

 3人で飲み語った新宿の一夜から5年ほど経った2002年5月、ある映画の試写会で、僕は若松に再会した。彼は激痩せしていた。思わず「若ちゃん、どうしたの!?」と訊くと「いや、俺、肺片一方取っちゃってよ。おまえも煙草やめたほうがいいぞ」と言う。手術の痕を「見せようか?」と言うので「いや、もう、そりゃいいよ」と答えた。そのとき僕は正直言うと、不謹慎ながら(若松さん、引退なんだろうなぁ。寂しくなるなぁ......)と思った。それくらい彼本来のエネルギーを感じることができなかったのだ。

 ところが6年後、若松は「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)」を撮り上げる。政治の季節とも呼ばれた高度成長期、社会変革を目指した若者たちは、なぜあそこまで追い詰められていったのか? 若松だからこそ描けたこの作品は、ベルリン国際映画祭にて最優秀アジア映画賞と国際芸術映画評論連盟賞を皮切りに名だたる賞を総なめにする。テレビに映し出された彼の姿を見ると、かつての精悍な若松孝二に戻っていた。

 そして今度は「キャタピラー」である。静かな田園風景の中、ある夫婦を通して戦争の愚かさと悲哀を描くこの作品は、この夏の劇場公開に先立ち、すでにベルリン国際映画祭にて寺島しのぶが最優秀女優賞を受賞している。

 見事な復帰だ。肺が片一方ないにもかかわらず、それを補って余りある精神力。僕も具合の悪いときがあったので、それを乗り越えるのは並大抵のことじゃないよなぁと思っていた。

 先月末、男優・久保新二の生前葬というシャレのつまったお知らせが来た。発起人の筆頭に若松の名があり、僕は出かけていった。会場で彼の姿を探す。彼は穏やかな表情でステージに近い席にいた。大病を乗り越えたのちの活躍に敬意の言葉を述べ、「俺、あとについていくんだから倒れないでよ」と冗談半分・本気半分、僕が言うと、「体、ガタガタだけどよ」と笑う。でも、その笑顔には気迫が満ちていた。同世代のピンク映画の監督のなかには、すでに他界した人も何人かいる。だから、2つ年上の若松孝二が現役を張っているのが、僕はうれしくてたまらないのだ。

 

2010年06月18日