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アテナ映像

週刊代々木忠

死とオーガズム
  
 死ぬときって、きっと気持ちいいんじゃないかと、僕はひそかに思っている。

 オーガズムがある意味「死」であることは、これまでいろいろなところで書いてきた。つまるところ、オーガズムとは「社会性の死」だと僕は思っている。現場でセックスの最中、社会に合わせて作ってきた偽りの自分が死んでいくとき、多くの女の子たちはとても苦しそうに見える。

 しかし、自分を明け渡してオーガズムを体験した女の子に、あとでそのとき、つまりイク前のことを訊いてみると、みんな一様に「ぜんぜん苦しくなんかなかった。すごく気持ちよかったよ」と答える。だとすれば、本当に死ぬときも、死を受け入れれば同様に気持ちいいのではないかと思うのだ。つまり、オーガズムが「死」であるとするならば、死もまた「オーガズム」ではないかと。

 僕自身、これまで何度か死にかけている。極道の頃、僕の若い衆が大失態をやらかした。組織のケジメとして、責任者である僕はみんなの前でヤキを入れられることになった。それはまる一晩に及んだから、かなり長時間だったのだけれど、痛みを痛みとして感じているのは最初のほうだけで、途中からは気持ちがいいのである。セックスにおける快感と同一とは言い切れないまでも、自我を捨て、あるがままを受け入れたところで感じる多幸感としては共通点がある。

 そればかりか、ヤキを入れている相手の気持ちもわかってくる。組織のケジメを取るためにやらなきゃいけないっていうのはあるものの、実際にはやっているほうも悲しいのだ。自分を明け渡してしまっている僕には、相手の思いがダイレクトに伝わってくる。もしも、なんで俺がヤキを受けなきゃならないんだという思考が働けば、きっと苦しくて、そのうえ相手に恨みを持ったことだろう。

 また、仮死体験として最も鮮明に残っているのは、中学1年の冬のことである。氷が張ってる用水池で泳いで見せると、向う見ずな僕はみんなの前で公言していた。自業自得としか言いようがないが、折り返しのキックで水面に顔が出たとき、急に頭が痛くなった。岸まではあと十数メートル。これはヤバイと思った刹那、視界の中で色がなくなる。そしてモノクロームのまま暗くなると同時に意識を失った。

 目が覚めたのは病院のベッドの上だった。僕が泳ぐのを見ていた友達の何人かが交代で背負って病院まで走ってくれたようだ。水面に氷が張っていたくらいだから、僕は心臓麻痺を起こしたのだろうが、背負って走ってくれたことによって、結果的にはそれが心臓マッサージになったのかもしれない。この心臓マッサージがなければ、僕はそのまま死んでいたと思う。ただ、視界に色がなくなって意識を失うまでの間、苦しかったかといえば、まったく苦しくはなかったのだった。恐怖感もなく、とても穏やかな心境だったのを覚えている。

 これ以外にも、何度か死にそうになったとき、いずれも途中から痛みや苦しさは消え去り、ある種の快感に僕は包まれていた。だから、実際に死ぬときも、きっとそれはオーガズムなのだろうと思っている次第である。

 では、死んだあとはどうなるのか?

 死んだらそれですべてはお終いだと思っている人は多いけれど、僕はこの仕事をやっているなかで、何度か霊に遭遇している。「チャネリングFUCK」や「目かくしFUCK」を撮っている際、女の子はトランス状態に入っているため空き家状態になるときがある。そうすると、そこへ霊が入ってしまって、その彼女の言葉を使って喋りかけてきたことが頻繁にあった。

 自分の中に霊が入らないまでも、トランス状態になった子が「そばに来てるから、監督、部屋から出してえー!」と訴えることもあった。僕は自分の守護神に霊を追いやってくれるように頼む。すると、訴えた女の子は「かわいそう。みんなエレベーターの前にかたまっている。監督、あれ、かわいそうだよ」などと言い出す。「おまえが出せって言ったんじゃないか」と、そんな経験を幾度もしたものである。だから、死後そういう世界があるというか、肉体を離れても魂というべきものが存在することを、僕は信じている。

 C.A.ウィックランド著『精神科医ウィックランド博士の迷える霊との対話』(近藤千雄訳、ハート出版刊)には、死後なお生前の商売を続ける霊や、タイタニック号事件で他界した霊など、文字どおり迷える霊との対話がたくさん紹介されている。僕が撮影現場のホテルで遭遇したのも迷える霊たちで、結局のところ自分が死んだことにも気づいていない連中だった。あるとき、僕は霊に「あなた、死んでるんだよ」と話しかけたこともある。でも、いっこうに聞く耳を持たない。自分はまだ生きていると譲らない。脳が死んだら終わりだと思っている人たちに、この傾向は強いように思われる。

 死ぬときには気持ちよくて、その後も魂は存在しつづけると思っている僕は、死を不幸の極みだとはとらえていない。ただ、その前提に立ってなお、自分のまわりのかけがえのない人々と、お互いに肉体をもって接したり、一緒に食事を楽しんだり、なにげない会話を交わしたり......そういう体験がもう二度とできなくなってしまうのかと思うと、それはたまらなく切ないのだけれど。
2010年07月30日