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アテナ映像

週刊代々木忠

イタリアでの反応
  レッドカーペットを歩いて会場に入る。「YОYОCHU SEX と代々木忠の世界」の第1回上映会が行われるのだ。

 ガイア・モリオーネさんというキュレーターの女性が来場者に挨拶をして、石岡監督を紹介する。今回、最終的に候補作が2つ残り、モリオーネさんが石岡監督作品を強烈に推してくれたおかげで招待が決まったらしい。石岡監督が制作意図をひと通り説明する。そして僕を紹介した。会場につめかけた人々に、僕は次のような挨拶をした。

 「ヨーロッパには、フーコーに代表されるように『性は権力である』という考え方がある。でも、僕は受け入れられない。なぜなら、それとはある意味、対極の立ち位置で40年間やってきたからだ。実際、日本のAVというのは、今や90パーセントが形を見せる"アクティブなアメリカンポルノ"だが、僕は残りの10パーセント、マーケット的に見たら、それこそ細い線のようなところでずっとやってきた。そこに石岡監督がフォーカスしてくれて、今回ここで上映される運びとなった。みなさんがどういう反応を示してくれるのか、僕はとても不安である。と同時にワクワクもしている。ただし、それ以上に不安なのは、今、娘が会場に来ていて、初めて僕の仕事を見るということだ。そっちのほうが僕にはずっと怖いかもしれない」

 壇上に立って話しはじめたら、最前列の関係者席に座っている娘と目が合ったので咄嗟にそんなことを言ったのだが、これがけっこうウケた。会場から拍手が返ってくる。やはりヨーロッパにおいても、性を扱っている作品は下に見られているのである。その中で、自分の子ども、それも娘をつれてきたというのは、それなりにインパクトがあったのだろう。

 すでにニュースにも書かれているが、加藤鷹が失神するシーンでは笑いと拍手が起こった。そして女性が追い込まれていって、オーガズムで涙を流すところでは、やはり受け入れられない女性がいた。その人は大声で怒鳴りつづけた(といってもイタリア語なので、僕には何と言っているのか、わからなかったが)。まわりの席からは「シーッ」「シーッ」という声が漏れてくる。しかし、その女性はいっこうに治まらない。結局、映画祭のスタッフによって強制的に外へ出されたようである。

 彼女が怒鳴り出す少し前から、客席からは空咳(からせき)が聞こえてきた。自分の中で葛藤が起きて受け切れないとき、それが咳として外に出る。催眠をやっていると、同じような場面に幾度も僕は遭遇した。何か触れられたくないものがあったりしたら、人は催眠を拒絶する。すると、空咳が出はじめる。それでも続けていけば、次には戻してしまうのだ。今、会場でこれだけ空咳が出ているということは、相当闘っているんだなぁ......と、僕は内心思っていた。しかし、そのとき映し出されていたのは、僕の作品の中で女の子が追い込まれつつもオーガズムを体験して涙するシーンであり、本来そこは感動すべきところだと思うのだけれど......。ある人にとって、それは屈辱的にしか映らなかったのかもしれない。でも、スクリーンの中の女の子は至福の表情を浮かべている。だからこそ、自分の中で整理がつかなくなったのだろう。

 エンドロールが流れているとき、拍手が起こった。その拍手がいったん収まったのち、しばらくしてまた誰かが手を叩きはじめ、2回目の拍手が湧き起こった。それを聞きながら、僕たちはホッとしていた。でも、石岡監督はあの罵声をとても気にしている。僕は彼に「罵声があがるってことは、それだけ強烈なんだよ。石岡、おまえの勝利だよ! すごい作品だよ!」と言った。「そうですかねぇ、そうですよねぇ」と彼は泣き笑いのような顔になった。

 上映が終わって席を立とうとしたら、白髪の女性が僕のところにやってきた。言葉は通じないものの、学者タイプで、真剣な眼差しで語りかけてくる。彼女の話の中で「カジュラホー」という言葉が何度か聞き取れた。インドのカジュラホーにある寺院群には目合(まぐわい)のレリーフが多数刻まれている。彼女はインドの性哲学について熱く語り、「カジュラホーに行けばいいよ」と僕にすすめているのだ。

 
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インドの性哲学を語った女性は、サインも求めてくれた。


 あくる日は、向こうのメディアからの取材が入っていた。僕も何社かのインタビューを受けたのだけれど、なかにはとても熱心な女性のレポーターがいた。彼女は映画論というより、オーガズムや思考・感情・本能の関係に興味を抱いたようだ。どんどん突っ込んで質問を浴びせてくる。僕は香港大学の講演で使ったチャートを取り出し、「イク前の思考オクターヴはこういう状態で、感情は封印されており、本能も技だけはあるんだけど、思考・感情・本能はバラバラなんだ。ところが、オーガズムを体験すると、この3つが統合されていくんだよ」というような説明をしたら、腑に落ちたみたいだった。彼女にしてみれば、仕事としてではなく、個人的に関心があり、おそらく自分自身が聞きたかったのだろう。

 その翌日には、第2回上映会が行われた。今回は罵声を浴びせる女性もいなかった。上映が終わってホールを出ると、今、映画を見たという人たちが声をかけてきた。一人目は精神科医をしている男性。目を潤ませながら、僕の手を強く握って語りかけてくる。通訳をしてくれたスタッフによれば「あなたの言わんとすることは、私にはよくわかる」と言ってくれている。

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僕の考えに熱く共鳴してくれた精神科医。


 二人目は大学の教授。彼は「感動した! イタリアに来てくれてありがとう。お互い文化は違うけれど、もっと交流すべきだ。あなたともっと話がしたい」と語りかけてくる。

 
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西洋と東洋はもっと交流すべきだと語る大学教授。


 精神科医にしても、大学教授にしても、彼らの気持ちを僕のほうこそもっと聞きたかったし、たとえ30分でも腰を下ろして話がしたかった。しかし、取材の予約が入っているとのことで、やむなくその場を離れざるをえなかったのが残念でならない。

 彼らと膝を交えて話をすることはかなわなかったけれど、短い時間ながらも強く感じたのは、たとえ文化や民族が違おうとも、彼らもまた今の時代を真剣に憂いている――という事実だった。

 

2010年11月12日